鯛は頭から腐る。『豊田商事、オオム真理教、東芝、オリンピック、教育、権威、PTA、官僚、市役所』頭のいい子のなれの果て。

学校で頭のいい子が「いい成績」で学校を卒業する。先生や親に褒められるために、いい成績を取る。
大学ではサークルに入り、親の代わりに褒めてくれるサークルの先輩になつく。

そして、企業に入る。企業の中では上司に褒められるためにいい成績をあげる。

誰かに褒められることで安心する。
狭い範囲の人間関係の中で安住する。
そして人生の価値をその中でしか見いだせない。

自分が、日々の生活よりもっと大きなもののために生きていることを見失う。
今の生活を守るためになんでもするようになる。


正しさや権威は、あくまでそのコミュニティの中だけでしか通用しない。
多くの家庭の中では、親の権威は家族の中でしか通用しない。
企業の論理は、企業の中でしか通用しない。
企業は大きくなればなるほど、違法行為を隠しおうせると思うのだろうなあ。あいつらだって、セーフになりそうではなかったのだろうか。



見つかることが不運であると思えるならば、多くの人は不正をするだろう。

まして上がやっているならば下もやる。
鯛は頭から腐るのである。




僕が糖尿病だと知った友人の顔をした卑怯者は、「大学病院にコネが有る、日本一の病院で手術の順番を100人飛ばして再優先に受けさせてやる」といった。

自分では「いいつもり」なのだろうが最悪の言葉である。
こういう輩は、スーパーのレジの行列にも割り込むのだろうなあ。

即刻その卑怯者とは縁を切った。

自分が奴隷であることを理解できない「かわいそうな優等生」である。


組合の委員長だった僕は馬鹿で結構である。
まあ、この手の話はよく聞くが、だいたい嘘だろうなあ。
専門家の世界は外部の人間からは見えない。
より高く金とるために、もったいぶり恐怖を植え付けて、他者をコントロールするのである。

僕だって自分の専門範囲では、口出しさせないで、恐怖を植え付ける。

何度も書くが「知識の差こそが収益の根源」である。


だから僕は「糖尿病」を学び続ける。
自分がモルモットにならないために。



僕が20代の頃『勤めていたブラックな企業』では残業代も出さないで、僕らは無制限に働いていた。
一人のカメラマンが、それはおかしいと言い出した。
部長に談判して、結局は首に近い状況で会社を去っていった。


僕らその他の奴隷たちは、『あいつは跳ねっ返りの馬鹿だ』と心のなかで思っていた。
奴隷と馬鹿が互いに罵り合うことで、社長は利益を得る。

多くの先達が戦い得た権利を奴隷たちは自分から捨てていくのである。


奴隷こそが、奴隷制度を作る主体である

ドッグヴィルという映画も凄いなあ、思い出す。


その後、僕は組合運動を指導することになる。


昨年、三役会でPTAの役員会で『アンケートを読む限り、学校にいじめがある』と発言したら校長に役員会での発言を止められた。
実際に発言を止めたのはPTA会長であったが、この男は次の選挙で市会議員になった。
校長からしたら、自分の生活のほうが「子供がイジメで死を決意する低い確率」よりも大事なのである。



文科省へのアリバイのための学校アンケートは、株主に対する企業の決算と同じである。
企業は株主への言い訳のために決算を偽装する。
学校は、親と納税者への言い訳の為にイジメはないと偽装する。



校長も、PTA会長も頭のいい子だった。
頭のいい子は、自分がいい子である世界しか見えない。
彼らの世界は、失敗は許されない、だから、失敗は存在しない。







東芝の事件が刑事事件になるか興味がる。
企業の中でいい子であろうとし続ける。
自分が社会の中で生きているといいうことが見えなくなると、不正を行っても当たり前のようになる。



東芝の事件があたかも社長一人の犯罪のように報道されていることは不愉快である。
見て見ぬふりをして、給料をもらってきた連中の集団犯罪である。
フェアなスタンスで世界に向き合わない態度こそ問題である。



学校で銀行型の教育を受けて長じた子供達は、大人になって{嘘つきの卑怯者』となる。
自分を評価する先生や親、そして上司のためだけに生きることになる。


自分がもっと大きな世界に属していること。
仕事は日々の糧を得るためのものではなく、世界をより良くするためのものだと思えなければならない。
自分は先生や上司のために生きているのではない。


豊田商事、オオム真理教、東芝、学校、PTA、官僚組織、オリンピック、市役所』皆組織のために、間違いを行う。

そして破綻するまで正しいことのように見える。


自分が帰属していると信じている『組織』の中で人間は安心する、
家庭であったり、企業であったり、大学時代のサークルだったり、高校の同級会だったり、多層的多重的に存在するコミュニティに私達は依存しながら生きている。



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