「アボガド」と「お日様」 少子化、虐待、DV、を考える。「家族というシェルター」
10年近く前に水栽培したアボガドはプランターに植えたが雪でうやられた。
去年の秋に食べた後の種を水盤に置いた。
半年近く経ってようやく根が出て、芽が出てきた。
生命は偉大だ。十分水があり生きれる環境にあるとわかった時に根が出て芽が発する。
ヒマヤラの山岳部にする山鹿はつがいになった時一ヶ月以上追いかけっこをして、他の個体がいない時に初めて子供を作り出すという。
子供を生んで十分育てることが出来る環境でなければ個体は増えない。オスとメスがいれば勝手に子供が出来るわけではないのだ。
先日、ある教育社会学者が「低所得者の子供は自尊心」がないという調査結果を出していた。「子供を褒めないから悪い」のだと言う。お前たち貧乏人は無知で馬鹿だから子供を褒めて育てることもできないと言わんばかりである。
まあ、お偉い先生様のようで、共働きで生きるのに必死な環境などというものは想像もできないのだろう。
はっきり書いておこう、自尊心がないのは「子供だけではない」。
親も、自尊心が持てないような環境にいるのだ。
しかしね、もっとひどいのは、社会に対してプロテストすることを忘れた連中だ。
政権に忖度する学者、批判という言葉を忘れたメディア、苦しんでいる人たちをいないもののように扱う連中、みな自尊心があるのかもしれないが、それは権力者にイイコイイコと言われているからだ。
そんな自尊心など、糞だ(笑)。
最低に扱われ、苦しみながら生きていくことこそ勇気がいる。
誰にイイコイイコされる必要はない。自分であることを諦めないことだ。
頑張れ!
仕事先では人として尊重などされない。嫌だったらいつでも止めろと言わんばかりの低賃金、慢性的な人手不足。その給料は家賃や税金や養育費、食費からまずはカット。
妻は夫にチクチク生活の苦しさを嘆く。夫は自分が責められているかのように見えて、テレビじゃ大金持ちの豪華な生活と苦労話。あなたは苦労が足りないからこんな生活だと言われているようだ。ん、ウチか?
誰だって、子供に十分良いものを与えたい。褒めて育てたい。
しかし本当にこの先生様は偉いのか?親自身が「褒めて育てられない理由」を考える想像力はないのか?
「所得が低い(=学校の成績の悪いバカだから自業自得)」ということが原因で「褒めて育てられない」という結果が生まれると考えているように見える。両者の間に因果関係を見ているのだ。
僕には相関関係としか見えない。所得や仕事の時間単価とヒトとしての価値には何ら関係はない。それなのに、「所得の低い人達」はヒトとして貶められて生きなければならない。ん、ウチか?
そんな環境に「愛し合った男と女そして子供だけの家族」が放り出された時に起こる当たり前の反応だとしか見えない。
「僕と妻と子どもたち」は運良く父母と一緒に暮らすことができた。多くの諍いもあった(何度も離婚しようと話し合った)一度だけ妻をぶったことがある。一生忘れないし、二度としない。次は自死を選ぶ、無理心中はしない(笑)。
しかし、共に生きなければならないと言う結論にたどり着けた。妻には感謝している。家族というシェルターは僕ら皆を守ってくれた。
親自身が「ヒト」として尊重される事が大事だろう。そうでなければ子供をヒトとして尊重できるわけがない。
では自分には無関係だろうか?自分の毎日の生活を顧みてみればわかる。
ホテルでルームメークサービスをしている女性に声かけたこと有るか(チップではない、金額に評価するということはその程度だと貶めているのだ、無論低賃金の足しにはなるが.....)。トイレ掃除している方にありがとうといったこと有るか?スーパーのレジの方にこんにちはと言ったこと有るか?タクシーの運転手にねぎらいの言葉かけたこと有るか?ホームレスをゴミのように思ってはいないか?
賃金の安い仕事は自業自得か?
「他人を自分の家族」のように考える能力の欠如を「サイコパス」という。
けどね、これもね、自分が転落するかもしれないという恐怖の環境にいる時に起こる自然な反応なんだ。そういう意味では特に精神異常ではない。
生命は環境を変数とした「関数の解」でしかない。愛も犯罪もDVも自死も同じヒトという生命が過酷な環境で生きていることを表現しているだけなのだ。決して許されることではない。けどね、僕は「被害者=加害者」ともに生きて行こうとしている姿に涙する。なんとかして家族として生きていきたいと思う姿にまだ希望を見る。
離婚してばらばらになった所で良いことなどはなにもない。社会は過酷に奴隷の羽を毟っていく。
頑張ろうよ、ここに踏みとどまるしかない。
「家族というシェルターを失い、力合わせて困難に向き合おうとできない」今という社会の問題だ。
金もコネもなけりゃあお先は真っ暗な社会だということを僕は子供に話した。僕には金もコネもない。
大学に入ったときからに就職が決まっている連中を恨んだ所で仕方がない。
連中は高いマンションに住んで自動車も持って好き放題、大学が人生のバケーション、卒業旅行は海外一週間。おまけに大学だって裏口から通用門から入っていけるし授業に出なくとも落第することはない。
親が会社の部長ならば取引先の会社の面接にフリーパス。小さな企業でも社長令息の社用車はベンツ。親の地盤を相続する政治家、国家試験で優秀な人材を集めるはずなのに親子揃って同じ職に就く「医者や教師」っておかしくないかい。けどね、そんな連中もなんとか自分を守りたいって必死なのさ。僕だって自分の会社を子供に継いでもらいたかった(けど儲からないし見込みもない)。やっぱ僕は負け組か(笑)。
個人を責めるのは間違えている。社会の問題なのだ。
世界は不公平だ。
そんな中で自分として生きてもらいたいと願う。
「どこかの地」に根をおろして生きてもらいたい。
雪も降るだろう。否応なく終わりは来る。
生きることは喜びなのだという瞬間に出会ってもらいたい。
自分であり続けようとしてもらいたい。
同じ様に頑張っている人たちに出会ってもらいたい。
そしていつか見つけたものを聞かせて......。
アボガドは色々なことを教えてくれる。無事育ってくれるだろうか。先に雪にやられたアボガドは後少しで実をつけたかもしれない。
どんな環境でも、生きようとする力を与えてくれる「お日様」は偉大だ。
学力格差より深刻な、低所得層の子どもの「自尊心格差」 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
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「貧乏人の自己責任だ」という仮説は、勝ち組の方々には心地よいだろう。
この問題は、僕は社会の構造の問題だと思う。ヒトとして尊重されない様な労働環境そこにこそ問題がある感じています。
問題は、相関関係のある事例を羅列することではない。
いかにして苦しんでいる人を救うかと言う事だ。ここに書かれていることなど誰でも実感している。
問題は子供の自殺やDV離婚、孤独死といった様々な相関関係に有る私達の苦しみを統一的に説明する仮説だ。
すべての問題はワンセットで考えなければ意味がない。より多くの問題を統一的に説明する仮説を見つけたい。
それがなけえれば問題は解決しない。
けどね、なぜテロは増え続ける?
自死を持ってこの社会がおかしいと表現しているのだぞ。僕には、頭がおかしいキチガイだなどとは思えない。
どうしたら心安らかに生きることが出来る。
異物を排除して見ないでいれば良いのか?
しかし嬉しいなあ、ちゃんと読んでいてくれた人がいるんだ。それもお偉い大学のセンセイ様のようだぞ。
あれ、本物かなあ、本人かどうかの認証の方法ないなあ(笑)。
まあ、こちらをご覧ください。
僕は鉄工所で働いて、学歴も年収も少ない人達と出会った。
そして知った。彼らこそ素晴らしい人間なのだ。
僕はテロリストを許すことはないが、自死を選ぶまでに苦しめられたヒトに寄り添いたい。
なぜならば、僕も苦しんで生きているから。
masaya50.hatenadiary.jp
文句があるなら俺を殺しに来い。
住所は会社の住所だし電話もつながる。