幸運な病のレシピ( 1610 )昼:焼きサンド(ポテトサラダ、レタスサンド)

【 2019/10/12の食事 】

一つの料理を始めると、納得するまでやらないと気がすまない。
フライパンのサンドイッチは面白い。
素材によって様々に姿を変える。
ハムとチーズのようなシンプルなものでも焼きの時間と火の強さで全く変わる。
レタスを入れたら面白いと思いやってみたらすごく良かった。
玉ねぎも、熱で溶けるので面白い。

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父の食事、ヨーグルトとー汁を付けた。

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僕は糖尿病なので、パンを食べたらあっという間に血糖値は上がる。
しかし、炭水化物は美味しいし、料理の核になる。
決して毒ではない。
美味しさが食卓を占領して、本来の食物連鎖の中で食事から身体というコロニーに入るべき「生命」を押し出すのだ。

ペットに、ドッグフードを食べさせると「生活習慣病」になるから可愛そうだという。
そんな事言う前に自分お食卓を見てみるといい。商品化された食事(=炭水化物)は乾燥工程を通りそこには生命はない。
生命というと「神秘的な非科学的」なものを考えるだろう。
私達が「食物の素材」とよんでいるものは、大変な数の「細胞生命+マイクロバイオーム」から成り立っている。
そしてその細胞の内外は、計り知れない数の代謝物に満ち溢れている。
その代謝物こそが「食事の価値」なのだ。




「健康にいい」という言葉は、医学的なエビデンスを表しているに過ぎない。
医学的な真実というものは「発見」されるまでは存在しない(笑)。
そして次々と最新の知見が人を「健康にする商品」を生み出していく。


しかし、考えてもらいたい。
誰にでも効果のある魔法の食べ物などない。
一人一人は異なった現実に生きて異なった代謝系をもつ。





身体というコロニーは食事に応じて姿を変える。
日当たりや環境によって、珊瑚がが2つと同じ姿をしない様に「ヒト」も2つとして、同じ形をとらない。
マイクロバイオームにとっては、「ヒト」も「犬」も「ノミ」も一時のシェルターに過ぎない。



そしてシェルタを超えて行き来するために「セックス」、そして「食事」がある。
ヒトは長いスパンをもつ「記憶」と言語を持ったことにより、「社会」をミ見つけ出した。




水中から地上に生命が上がって以来。植物も動物も、乾燥から細胞生命を守るためのコロニーにすぎない。
そして、それぞれに異なった環境に適応して広がっていく。
それを進化と呼んでも構わない。
しかし、神様に通づく長い階段でないことだけは確かだ。



夕食

色々とあったので、特に作らなかった。
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父の夕食

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マユの夕食

朝作った食事に加えて、キャベツの葉を一枚煮た。
ゆで卵を乗せてあげた。
マユはゆで卵が大好きなのだ。
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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