僕のマイクロバイオーム論(13)マイクロバイオームから見た進化とは何か。生物はマイクロバイオームのコロニーでしかない。

僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちら



「恐竜は絶滅した」という言葉をよく聞く。
私達「哺乳類」は恐竜が絶滅したほどの過酷な環境を生き延びたのだ。
なんて私達は素晴らしい!

恐竜を馬鹿にしているように響いていると思わないか?


では「ヒト」は恐竜の最盛期の時代にどれだけの勢力となれただろうか?
そして、現在生きている生命は、恐竜の遺伝子ゲノムの末裔である。

生物という外見・形態は生物の外部環境から内部のコロニーを一定に保つことを目的にして適応したものでしか無い。
「私細胞のDNAゲノム」はあまりに情報量が少なくて、外部に多くのタンパク質・脂質や遺伝情報を依存する。









そもそも「進化」という考え方(科学的仮説)は「宗教」に対峙する概念として成立した。
「神の予定調和」という枠組みから自由になることが「宗教」という恣意的な世界の理解から逃れるためには必要だったのだ。


しかし、「科学」の本質においては「ヒト」という生物がいかに優れているのかという枠組みからは脱却することはできなかった(でいる)。





『マイクロバイオーム』の発見は実に革命的であった。
「マクロの生命(植物・動物=真核生命)」は単なるコロニーであって、過酷な環境から「マイクロバイオーム(細菌・ウイルス)」を守るための仕組みにすぎないという考え方である(寄生生物や菌類は両方に入れてもいいかもしれない)。


恐竜は絶滅したのではなく、その時の環境に最も適応した「マイクロバイオームの乗り物」だったのである。
環境の激変(氷河期・火山の噴火・隕石の落下)によって、冷血であった恐竜より、環境にもっと適した乗り物をマイクロバイオームは作り上げたのである'(この表現は少し擬人化が入っているので勘弁して下さい)。

そして恐竜のDNAゲノムは引き継がれる。


環境が変わり、新たな適応が必要になった時に、そのゲノムは動き出す。
DNAゲノムは「今の環境に適応するためのマニュアルである」と同時に「過去の環境においての対応のマニュアル」でもあったのである。

そして、生命は(マイクロバイオームも真核生命も区別なく)必要がなくなった時に切り離せるように、様々な「生命物質産出のモジュール」を分業し、組み合わせる。


そのコロニーでしか生きれない細胞(卵子精子に起因する私細胞)と、マイクロバイオームは共同運用している。
そしてコロニーに危機が訪れると助けに来てくれる。
また、免疫はコロニーの維持のためにのみ破壊する。

昨今の自己免疫疾患は、別に「免疫」が悪いわけではない。「自己」を攻撃開いている免疫は、単に「生化学の法則」にしたがって動いているだけなのである。


また、感染症という「コロニーにとっての災厄」をもたらす場合もあるが.......



マイクロバイオームを進化の主体と考えると様々なことが見えてくる。
コロニーの形態に囚われた「進化観」はあまり役に立たない。


細胞レベルの「分化」と言われる現象は「適応」であり「不可逆な進化」である。
そして、その細胞に必要なタンパク質を作るマイクロバイオームは「傭兵」として受け入れられる。
古来、傭兵が国を動かす例は限りなく有る。




胎児が産道を通り母のマイクロバイオームは受け継がれる。
卵子精子のDNAゲノムはマイクロバイオームとセットで動くのである。



「私」は、精子卵子に起因する「私細胞」と「入居してきたマイクロバイオーム」から出来ている。
そしてこの小舟はマイクロバイオームの海を進み、世界の隅々まで生命に満ち溢れさせる。



小船は常に環境にマイクロバイオームの萌芽とタンパク質を空間に充満させる。


他のコロニーに移住して、新たなDNAゲノムを作り出していく。
ヒトが「感染症」と呼ぶマイクロバイオームの振舞いは、時に小船を破壊することも有るだろう。しかし、それはマイクロバイオームから見たら、変化する環境に対してのトライアルでしか無い。

より環境にマッチした小船こそが世界に生命を満ち溢れさせる。


世界の隅々まで生命を充溢させることこそが、森羅万象に潜むの神々の求めているものである。
何故そうなのかは分からない。お日様がそう決めているとしか考えようがない。


そしてコロニーの苦痛は、神々にとっては何の意味もない。
恨んだ所で無駄である。そういう意味ではどこの神様も変わりはない。

やっぱ。擬人化がはいるなあ(反省&笑)。



993243