ウイルスはホストを殺さないと言う欺瞞、ヒトは地球環境を破壊しているくせに.......

長く、「ウイルス(マイクロバイオーム)はホストを殺さない」などという「世迷言」を信じていた。


今の僕は「マイクロバイオームにとって、ホストの生死などは、何の意味もない」と考えている。

つまり、病原菌はホストが破滅しても関係ないのである。死んでしまうホスト以外の個体で生きるのだから何でもない。

何故か、ほとんどすべての微生物を研究している本では「微生物に意志があるかのごとく」その動作を記載している。
擬人化という明らかなミスリードである。

最近、考えているのは私達に災厄を招かない微生物の存在である。(私細胞を含めた)マイクロバイオームがあらゆる嗜好品(炭水化物・アルコール・セックス)や「食事に何を食べるか」などの行動をコントロールしていると考えると筋が通る。





「ホスト」というのは、多細胞生物(例えば私達の身体)で多くの単細胞生物(例えば、結核菌や梅毒スピロヘータ)の生きるプラットフォームである。

恒常性を保った皮膚の内側(周辺も含む)には数多くのマイクロバイオームが存在っする。
マイクロバイオーム同士は互いにタンパク質をはじめとする多くの高分子化合物ををやりとしして空間に満ちていこうとする。

「腸内細菌を制御する」とか「善玉菌・悪玉菌」とかまるで子供だましの議論である。恥ずかしい。








マイクロバイオームは環境を変える。
環境が変わると、「今の生命にとっては」生息には適したものでなくなる。
しかし、新たなる環境に適応した多細胞声明が生まれ、その中には数限りないマイクロバイオームという神々が宿る。

恐竜が絶滅したのは弱かったからでも、愚かだったからでもない。
その時の環境に最適な生命の形がそうだっただけである。
そして、環境が変わり、恐竜は新しい環境に適した形の生命に変身する。
経験値は「DNEゲノム」に維持されて、何かあった時に動き出す。





進化とは、終わることのないポーカーゲームだ。
経験豊かなプレイヤーはシャッフルされ配られたカードに反応する。

地球というテーブルで幾度ゲームは繰り返されたであろうか。
そして、このゲームに勝者はいない。

マイクロバイオームという神々が演ずるゲームなのだ。












マイクロバイオームはいつも、生物というコロニーにやどり、支配している神々なのである。
生物の死は、単なる引っ越しに過ぎない。
古くなった住宅は立て直して新しい家族が住む。


感慨深い。





そうして変わっていく環境に対して、自分も変化して適応する、これを「進化」と読んでもいいと思う。





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