著作物は作者の子であるが、所有物ではない2007年08月18日12:34
- 作者: カリールジブラン,佐久間彪,Kahlil Gibran
- 出版社/メーカー: 至光社
- 発売日: 1988/12/01
- メディア: 単行本
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大久保ゆうさんの日記を読んでいたら、ふとジブラーンさんの詩を思い出した。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=533817975&owner_id=6128955
http://www.alz.jp/221b/archives/000667.html
その通りである。
自分の生んだ子供を虐待する親は多い。
作品は作者にとって子供の様な物だ。確かに自分が生んだ物では有るが、決して所有する事は出来ない。
著作権保護期間の延長を望んでいる作者はその作品がどこから来たのかという事を忘れている。
企業のコマーシャルの為に使われ、人々の間で息づく事を奪われた作品の登場人物はまるで虐待されている子供の様だ。
#****** 以下、ジブラーンさんの詩集から ************
なたの子はあなたの子ではなく、大いなる命(いのち)の希求(あこがれ)の息子(こ)であり、娘である。
あなたを経て現れて来ても、あなたから生まれた物ではない。あなたと供にいても、あなたに属するものではない。
あなたの愛を与える事はできても、あなたの考えを与える事はできない。
子どもは自らの考えを持つのだから。
その身体を住まわす事はあってもその魂(こころ)までも住まわすことはできない。
子どもの魂は、あなたが夢にも訪れる事のできない、明日の館にすんでいるのだから。
子どもらのようになろうと務めるのはいいとしても、こどもらをあなたのようにしようとしてはならない。
生は後ろには歩まず、昨日を持つことはないのだから。
ジブラーン 小林薫訳『プロフィット(予言者)ゴマ書房』