家族という装置 ( 1 ) なぜ、私たちは「不倫」を容認出来ないのか。
セックスのパートナー以外の相手とパートナーの許可なくセックスをすると社会的な制裁を受ける。
社会的な制裁とは具体的には、何らかの「本来処罰されるような個人の行為」の免責事由となるということである。
何かのひどい目にあった時、訴えても「あんたが悪い」といわれる事である。
問題は、「なぜそうなのか」ということである。
犬やネコではそうでないし、群れを作る哺乳類でもそういう現象は見られない。
お猿さんや、ライオンなかでは、単純に以前の群れのリーダの子供を殺して、メスと交尾して、自分の子供を生ませるだけである(授乳期の間は排卵が起こらないために、殺すだけである、別に込み入った感情はそこにはない)。
では、なぜ「ヒト」はそのような機能を持っているのだろうか?
[YOL 路」というトルコ映画がある。
この中に夫が刑務所にいる間に他の男とセックスした妻を殺すシークエンスがある。それぞれの社会で強さは違うとも同様の事は起こる。決してトルコが遅れているとか、アメリカは進んでいるとか言うことではない。
私ったちヒトの持つ構造であるのだ。
もっと大きな根本的な問題は、なぜ「セックスのパートナー」を社会は奨励するのかということである。
これは、ハーレムであったり一夫多妻であったり、公娼制度であったり、お妾さんであったり様々なパターンは存在し得るが基本的に「公的なつがい」をコミュニティが認定するのである。
そして、それは「家族」の核なのである。
「家族」というコミュニティにおいては、様々な機能が派生する。
子供が生まれて、「育児->教育」
家業を持ち、生産の場である時には「政治」
やがて年老いて「介護」
ヒトのライフスタイルに対応した機能である。
地域コミュニティは家族が基本になっているのである。
しかし、肉体的な問題から子供が出来ない場合、性的な嗜好が違っている場合、夫婦の間でのパワーゲームの問題、性欲の不一致などの問題から、当然パートナー以外とのセックスは発生する。
そしてコミュニティが生産の基本単位であった時代は「子供」は多いほうがそのコミュニティは他のコミュニティより優位になるのだ。
家族というコミュニティは「生産と消費」の単位であったことははっきりわかる。
しかし、「暴力と虐待」の単位であったことはなかなかわからない。
2017-04-03のダイアリー「久しぶりにいい曲だった、そして考えさせられた」
2012-02-16のダイアリー「欲望に蓋をする事は出来るのか?」
ある映画の中で、小さな村の物語であるが「10%の子供が同じ一人の男のタネから生まれた」という描写があった(注1)。
最近読んだ本では、「悪魔」が夜、精子を集めて、「処女や貞節な妻をはらませている」と境界が悪魔祓いの根拠にするのを「聖職者がハラマしている」と告発した作家の本を禁書にしているという(注2)
注1 : 「10%の子供が同じ一人の男のタネから生まれた」という描写があった。
「ウエールズの山」という映画だ。全く本筋ではないが、すごく印象に残っている。
DNA鑑定などない時代は良かったのにねえ。
遺体を焼かないで残している風習を持っている社会で、DNA鑑定を行ったら相当びっくりする結果が出るだろうなあ。
血縁関係があるという記録との粗合っていうのはどんな副作用が生まれるかわからないから誰もが怖いだろうし、そういう研究はなされないだろうなあ。
注2 : 告発した作家の本を禁書にしているという
1584年レジナルド・スコットという作家の作品をイングランソのジェームズ国王が禁書にしたという(不思議なダンス P15)。
リン・マーグリスさんは、細胞内にミトコンドリアが共生することで真核生命が生まれたと論じて、「馬鹿扱い」された。
ヒトのゲノムが解析され、様々なDNAの解析が進んだ今ではこの学説は、既に常識となっている。
彼女は素晴らしい。そして、性に関しての全く異なった角度からの分析を行っている。
この本必読だ。

- 作者: リンマーグリス,ドリオンセーガン,Lynn Margulis,Dorion Sagan,松浦俊輔
- 出版社/メーカー: 青土社
- 発売日: 1993/06
- メディア: 単行本
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ジャレッド・ダイアモンドさんの本が最初の出発点だった。

- 作者: ジャレドダイアモンド,Jared Diamond,長谷川寿一
- 出版社/メーカー: 草思社
- 発売日: 2013/06/04
- メディア: 文庫
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