幸運な病のレシピ( 1984 )夜:血糖値の上がらない焼きそば、ロール白菜の仕立直し汁、お酒少しだけ
【 2020/3/31の食事 】
ほとんどのレシピ情報は作りっぱなしだ。
当然後片付けもしないし、作ろうとして材料が腐っていることもない。出来上がりも七五三の記念写真のようだ。そういう「もの」を見るときっとこの人は毎日作ることはないんだろうなあと思う。悪いことではない。どうせ見ている方も毎日作る時間などない。しかし、食事が原因で生活習慣病(検査値の異常)と年取ったときに何種類もの薬を飲んでやがて、手術を繰り返して、骨折し「経管・胃瘻・輸液」の後に孤独な死を迎えるということは薄々気がついている。
専門家は誰も言わないことだ。
皿の上に何がのっているかよりも、その料理が作られるプロセスのほうが重要なのだ。
「乾燥・抽出・濃縮」工程はコスト安く食事という商品を作るが、生命のミイラを作るだけだ。炭水化物は毒ではない。あまりに美味しすぎてコストが安いから皿の上から50年前の食卓には満ち溢れていた生命を追い出すのだ。
数日前のロールキャベツが余っていたので仕立て直した。
上手く材料を足し、味を入れるとこれだけで満腹になる。焼きそばが一人前あったので新タマネギとモヤシととキャベツに昨日のステーキ(オオ!)の余った分を加えて3人前にした。少しビールのんだ(笑)。だんだん少なくとも眠れるようになってきた。仕事も片付けよう。お待ちいただいているお客様には感謝である。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay