幸運な病のレシピ( 1962 )夜:里芋・鳥モモの味噌煮、しゃぶしゃぶ汁

【 2020/2/28の食事 】

里芋と鶏肉を味噌で煮た。随分昔にどこかのお店で食べた。里芋のトロミが鶏肉の脂と絡まって美味しい。
しゃぶしゃぶ汁ま今年の流行になりそうだ。結構旨い上に肉と野菜を自分の好きな量を食べることが出来る。時間を於いても美味しい。翌日、うどん入れてもいい。

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糖質制限の方々は根菜を要注意などという。

僕は嗜好品としての炭水化物を注意深く避けるべきと思うが、根菜は「いくらでも食べられる嗜好品」であるという条件を満たしてない。
また、「乾燥・濃縮・精製」を通っいない。ポテトチップスという形になると「要注意」である。美味しすぎるから身体に必要なものを食卓から美味し出してしまう。
「食べ物」が作られるプロセスこそが問題なのだ。


「根」は生命の生まれる場所だ。

土の中のマイクロバイオームが様々な代謝物を光合成を行う葉におくる。葉と根は異なった原理で動く共同体だ。植物は長く生きると言われる。
しかし、それはサンゴ礁が長く生きるというような物だ。サンゴ礁を作るサンゴ虫はさほど長命ではない。
葉は毎年散ってまた生まれる。常緑樹は季節に関係ないスパンで葉は落ちてまた生まれる。
動物というコロニーも同じである。



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素材から家庭で料理を作らないから生活習慣病になると「医師や栄養士」は絶対に言わない。

「多重投薬と繰り返される手術」の老後が「嫁の責任」にの様に思われる。

家庭というシェルターとは「母ー>嫁ー>娘」と言うチームが一人一人に合った食事を記憶していた。そして「父ー>息子ー>孫」が働くことで「家庭=企業」が成立する社会だった。
「家庭=自営商店」「自営農家」という仕組みはグローバリズムが破壊した。

1960年代の家庭からの「女性解放」と言う潮流は、社会の変化を別な視点から表現しているだけだ。

たしかに女性は家から開放されたが、職場でセクハラ・パワハラ受け放題!「医療・教育・介護・政治」の場はアウトソーシングされた。
家で食事を作るということは家に「食事作りのプロフェッショナル」が居たということだ。
そして当然のことながらトレーニングや「食物連鎖」に対応して「食をチューニング」する仕組みがあったのだ。

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自分にあった食事がなぜ作れなくなったのか、果たしてこの社会で作ることが出来るのか?僕は研究している(笑)。厨房は様々なことを教えてくれる。



「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay