「命を守る行動」と言う表現の違和感の理由?政治の目的とは、「市民の命を平等に守る」のではなく「守る順番を決める」ことだ。

>気がついた、このフレーズの意味は「行政のいう事聞いていたら死ぬぞ」ということなのだ。

今回の台風から始まったのかなあ。
あまり聞いたことがないフレーズだなあと思っていた。

誰の発案だろうか?
どっかの役所が広告代理店とか有識者会議で決めたのかなあ。

調べたら少し前から使われている。
www.jma.go.jp


どこのTVチャンネルでもこの表現である。

違和感がある。

この違和感はなぜだろうか?

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覚えているだろうか?
お隣の国で、沈没する船の船室にいるようにと言われて多くの子供が死んだ。
誰かの言うことを聞いて、おとなしくしていればいい時代ではないのだ。
皆、自分ファーストになり、面倒なことは行政に渡した。
コミュニティを守ることなど考えもしない。


セウォル号沈没事件」は教育と自分ファーストな社会が生んだ。
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自分の責任で自分の命を守らねばならないのは辛いことなのだ。
家族や地域が機能していた時代には、家族で危険を予知して、行動した。
災害は当たり前に私達を襲った。
しかし、再生する家族は消え、地域は住民税を集める単位でしない。



おとうさんが「避難したほうがいい」などと言っても「警報がでていないから大丈夫」と答えられるのが当たり前の光景なのだろう。
専門家に任せレバ大丈夫と思っているのだ。


コミュニティが持っていた機能が破壊されて、行政が担った。
そしていつもの通り、行政は形をなぞるだけである。


今僕が取り組んでいる食事の価値の話にしても同じである。
専門家を信じては命を取られる時代なのだ。
しかし、それは自分が悪い。
娑婆のものは青信号でも信じてはいけない。

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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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