上級国民サイトが閉鎖されたようである。

上級国民.com」と言う大変面白いサイトが有ったのであるが、閉鎖された。
最近の話である。

ネット上の言説を見ると、サイトの管理者を批判する人も多いが、ぼくにはそうは思えない。

彼は、決して終わったわけではない、これからも頑張ってもらいたい。
18歳だと公言していたが、あれだけのページを18歳で作れる訳がない。
web魚拓なんかに残っていないかしら。

ああ、アーカイブしておけばよかった。


ある体験を思い出して、憂鬱になった。


パブロフレイレさんは言う、『上が自分から変わらなければ、社会は変わらない』と。

一般国民(下)がいくら上級国民(上)を批判しても、上級国民が変わろうロしなければ世界は変わらないというのだ。

これは革命と言う概念を大きく変えさせるものである。



批判された時に自分を変える勇気と言うのは、どのように育てられるのだろうか?自身を省みたならばいかに困難であるかわかる。

いかにして自分が間違えているか気がつくのだろうか?

そして自分が変わることで、社会は変えられるとどう信じることが出来るのだろうか?







昔の話。

ぼくは若いころ(大学時代)NHKへの批判的な本を読んでから、NHKに批判的な活動を行っている。

NHK受信料支払い拒否の歴史こちらをご覧ください。


そして、結構活動的だった頃、(NHKの受信料の不払いのサイトが沢山有った)、あるサイトの管理者と知り合いになった。
ぼくは実名を出してサイトを運営していたのだが、多くの人はそういう訳にはいかない。

ボランティアで社会に対しての活動を行うということは、その活動の他に生活を支える手段が必要になる。
そしてその手段は多くの場合、弱みになる。それ以外にも人間誰でも弱みはある。

ところが、批判を受けている側はそうではない。批判を潰すことで給料もらうのだから、これほど楽しいことはない。
原発再稼動、安保法案、上級国民批判、皆同じ側面を持つ。大昔にこういう図式を、『階級闘争』と言う言葉で説明した人がいる(すでに死言であると思われているが、決してそんなことはない)。


この言葉の問題点は、
「下には下がいる」「上には上がいる」という現実である。
社会は巧妙に入れ子になっている。
誰かの下にいると思っている自分も誰かの上にいて知らぬうちに搾取(古い言葉)しているのである。


そして「全てのヒトは死ぬ」と言う現実に救われる。



現代的意味での「搾取」を考えねばならないのだが、上手く表現できない。




そのサイトが、突然閉鎖することになった。
話を聞くと、あるNHKの不祥事をサイトにアップしたのだが、その時間が、公表前でその為に内部の情報提供者が絞られることになったそうなのである。

その対策会議の面々(課長部長クラス)は『絶対に見つけてやる』と殺気立った会議をしたそうである。
結局、デーィープスロートを守るためにそのサイトは閉鎖された。

もう一つ、NHKの受信料取り立ての職員から内部情報を貰い公開していたサイトがあった。
あるときに黒く塗りつぶした不良不払い人リストをカメラで取ってアップしたら、フラッシュで反射して人の名前が見える状態だった。
速攻でプライバシーの侵害だと、NHK側はプロバイダーに身元の公表を迫り、バレることになる。
所属していた会社が分かり、会社に連絡が行って閉鎖されることになった。




社会は「出来る限り『平等』であるべきである。」と信じることの出来る市民が多くなるためには何をすれば良いのだろうか?

黒川清さんの言葉がすごい。アカウンタブルの意味を語っている。

これこそが、重要な事である。




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