幸運なマユのレシピ(3):朝の味噌汁の具をとりわけて、キャベツ、カボチャも入れて、昨日の鶏肉を加えて煮込んだ。食べ終わっても皿から離れない。

【 2019/9/23.の食事 】

今日は、朝味噌汁を作る時に具を取り分けた。
鶏肉は昨日煮たものを入れて、少し残っていた塩鱒を入れた。
少し食べてみたら旨い。

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食べた後もずーっと皿をなめているではないか。
美味しかったんだね。
ゴメンな、これからはずーっと作ってあげるからね。

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時折、毎日ポリポリしたもの食べて可愛そうだなとは思っていた。
ペットフードが当たり前だと思っていたのが恥ずかしい。
マユが家族だということに気がついた。少し涙が出た。

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2015年、僕は糖尿病が本格化してきて、食事に取り組み始めた。
そして、何とか毎日食事を素材から作れるようになった。
商品化された食事に依存する社会が「生活習慣病」とその後の災厄を招いている。

そりゃあ、忙しい時には、シリアルに牛乳かけてサプリメントのんでも良いかもしれない。

けどね、「食事」って人生の喜びだ。

マユの喜びようを見ていると、身体というコロニーを統べる「細胞生命とマイクロバイオーム」が狂喜乱舞しているようじゃないか(笑)。

レストランで高級料理頼まなくとも、身体が喜ぶご馳走はそこに有る。


炭水化物はあまりに美味しいから程々にしないといかんよ。


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ペットフードって、「ヒト」の食卓が変わってきたタイミングと同じように(1980年代を分水嶺に)増加してきたんじゃないかと思う。
だって自分の食事を作らなくなってきたのにペットの食事だけ作るなんてありえないよね。


確かに、小学校の頃、モダンな家庭ではドックフード食べさせていたような気がする。
母に話したら、人様が作って食べているのに金払って食べ物買うとは贅沢なと言われた。

たしかにそのとおりだった。

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今ならはっきり分かる、あの頃(糖尿病真っ盛りの頃)の僕の食卓って犬たちの食事(ドッグフード)と何も変わりないと......。
忙しいからと言ってはお店から買ってきた弁当を食べる。
なにか作ると言っても、パスタに蕎麦・うどん、カレーにチャーハン・ドリアにオムライス、サンドイッチに野菜が入ってヘルシーだ。
中身は誰もが文句言わないで食べる炭水化物でどっさり、おかげで生命は押し出される。
食卓の上には「生命のミイラ」が並ぶ。

ドッグフードも、お店の弁当も「健康に良い(と太鼓判押されている)もの」ばかりだ。


そしてそんな食事は、生活習慣病と災厄を招き、死ぬまでの10年を苦しむことになる。

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素材から食事を作るのは面倒で手間がかかる。
けどね、それだけの価値がある。



ミニチュアアダックスのマユくんに食事を作ってあげることにしたキッカケはこちら。
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「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。

炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。



今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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