父と暮らす:91歳の誕生日に廊下で倒れていた。(4)逝去 2020/2/27〜2020/3/8 訪問入浴に感謝、介護の仕事の大変さを知った。そして感謝の気持でいっぱいだ。

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一ヶ月の寝たきりのあとで、父は亡くなった。

施設にお願いすること無く、自宅で最後を迎えられた。背骨の圧迫骨折は治る(寛解してその状態で生きる=機能は戻らない)こともあるが、父は無理だった。91歳である。
毎日食事を作り、下の世話をして最後の時を過ごした。亡くなる一週間前に、起きて歩こうとして(随分回復してきたがそれが悪かった)転倒した。その後すっかり食べれなくなった。「輸液・経管・胃瘻」を何度も考えたが、延命治療でしか無い事は分かってた。父は尊厳死を望んでいた。
毎日食事を作り話をした。最初はおむつを恥ずかしがったが、最後には何も気にしないで、「済まないなあ」と言ってくれた。
できるだけ食べれるものを用意したのだが、徐々に食べなくなり眠っている時間が多くなっていった。
亡くなる前日に介護ベッドの背を上げて庭を見せた。「三作さんの作ってくれた庭だよ」と話したら僕の目を見てニッコリ笑ってくれた。それが最後のお別れになった。

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老人の死亡原因の一番は「骨折」である。

高齢者の死因は「心疾患・肺炎」と言われるが、僕の周りで見聞きした人たちは、骨折や股関節の脱臼などで自分で動けなくなり、病院や施設に入り、亡くなっている。

自分で動ける間は「トイレ」に行けるので、介護と言っても、食事作りとトイレ掃除、風呂と洗濯くらいである(それでも大変なのだが)何とか自宅で暮らしてもらえる。
しかし、動けなくなると、そうは行かない。
そして自分の30年後なのだ(生きていたとしではあるが)。
何とかピンピンコロリの人生を送れる食事を見つけたい。
改めてそう思った。

一旦ベッドから自力で起きれなく成るととにかく辛い。トイレも行けないからオシメをすることに成るし、風呂も入れない。オシメでいいんだよと言っても、立ってトイレに行きたがるし、尿瓶にするときに漏れることも多い。
シーツを変え、下着を替えるときにも痛みを訴える。大変な一ヶ月だった。介護の仕事の大変さとを知った。そして感謝の気持でいっぱいだ。

大事なことは、自分の未来なのだ。誰でも年を取ればそうなるのだ。
家族の死を通じて、生命を知るのだ。
介護制度のなかった時代を考えればいい。とは言っても、すでに想像すらむずかしい。

身近な人達の亡くなり方を見ると、多くの場合自力で生活することができなくなって施設にお願いすることになり、それから長く生きた後に死ぬ。医療はどんな事をしても生かすことしか考えない。
今の社会は、多くの人は時間を売ってはたらく。僕は会社の経営者(笑)なので、寝たきりになった父にほぼついて入れた(それでも、隣で寝てればよかったと思う、3/1の転倒は僕のせいだ)。
一緒に暮らすということが介護の意味だと思う。しかし、それは時間を売って賃金を得ている人には無理だ。
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50年前の社会は「家庭=企業(農家や小さな商店)」だった。そして家族が社員で、老人を看取っていた。
しかし、グローバリズムは社会の仕組みを根底からかえた。そしてその事が良し悪しではない。
私達は孤独の中で施設で死ぬ運命なのだ。

家族が「施設・病院」で死ぬことは、自分が死ぬ運命であることを学ぶ機会を失わせる。





この頃はまだ固形物を食べれていた。色々と作っては何とか食べてもらおうとしていた。
おにぎりを好んで食べているので、柔らかい肉なども用意した。
立って歩いてトイレにいくという。数時間おきに行ってはトイレに連れて行く。

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尿瓶で、おしっこをした量を確認する。量に差がある。麦茶とジュース(市販品)を用意するがジュースを好む。徐々に背骨の痛みが減ってきているようだった。
横に向いてから体を立てるようになってきた。そして僕がいない所で立って転倒したのだ。
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病院に連れて行った。今でも、このときの通院は止めておくべきだったのかなと思う。そんな事を考えても仕方がないことなのだが、父の場合は安静にしておく以外に治療などないのだから。
コルセットも、むずがってつけようとしなかった。付けても、つ日に行くと外しているのである。

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尿瓶にするが、外すことも多くなってきた。腰回りにバスタオルを敷く。電気毛布で蒸されて随分匂いが強い。
自分で建てなくなったきているので、シーツを替えるのも大変だ。本人は何もしないでくれという。しかししないわけには行かない。
おしめを替えるが、もう大便は出ていない。ポタージュやフレッシュジュースを飲んでもらおうとするが、少し口をつけただけで飲もうとしない。

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前からお願いしていた訪問入浴である。髭を剃り、体を洗ってもらい、気持ちよくきれいな布団で寝かせることができた。
3/8の夕方に最後の会話そして父は眠った。

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3/9のAM1時に父の様子を見に行った。玄関を開けたときに静かだったので、逝去したことがすぐに分かった。

妻を起こして、救急車・警察を呼び、落ち着いたのは朝の9時過ぎだった。
朝4時に遠くの大学に行っている息子に連絡した。夕方には帰ってきてくれた。葬儀屋さんとお寺に連絡をした。

葬儀場に一人でおくのは可愛そうだったので、仏間に安置しで通夜(宗教的には非公式=お寺様を呼ばない)をした。
にぎやかなのが好きな父だった。時折、ゲームもした。
家族4人で、いろいろなゲームをした。麻雀(皆ルールがわからない)をして過ごした。
父は麻雀が好きだった。
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翌日には荼毘に付して、一晩お骨をおいて、式場でお寺様に来ていただいて家族4人で葬儀をした。

この地域では、通夜のあとで荼毘に付して、その後で葬儀を行う。結構珍しい手順だ。もう少し北に行くと「通夜ー葬儀ー荼毘」の順になっていたりする。

葬儀場の担当のHさんのお父さんが、父と同じ会社に勤めていた方だと知った。
そしてその方は、僕が工場で働いていたときの親方だった。みんなに慕われた方で、もう数年前になくなっていた。

父は50年この会社で働いた。父の会社の人には伝えなかった(誰とも音信がなかった)。
総務の責任者としては、会社が倒産させられた事を悔やんでいたのか一切会社時代のOBとの接触を絶っていた。
息子の僕が労組の委員長だったからと言うことも有ったのかもしれない。

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東京から帰ってきて、いくつか職を変えながら、居場所が見つからずに、どうしていいのかわからない僕を、父は見捨てないでくれた。

父の遺品の中に労組時代の書類(僕が作って全社に配布したもの)がまとまっていて、お驚いた。
あの頃、父とは一切この事(労働争議)に関して話をしなかった。
倒産が決まり、静かに社員をそこまで働かせたかった経営者にとっては僕は邪魔だったろう。

どんな気持ちだったのだろうか?

翌週にHさんのご自宅にお邪魔して御焼香さし上げた。
お元気なお母さんにHさんの思い出を話した。
縁というのは思わぬ所で繋がっているものだ。


皆終わってから知らせるべき方々にはお知らせした。お参りいただいて嬉しかった。

みんな酒持ってきてくれた(笑)。
四十九日まで少しずつ飲んでいくことにした。
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父はタバコが好きだった。寝タバコをしているのを見つけて買ってあったタバコを渡さないで辞めてもらった。最後の喧嘩であった。
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最後まで我慢してもらった。買ったまま残っているタバコを灰にしている。我慢させてごめんね。
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父の遺言を実施して、庭の整理をしている間に1ヶ月がたった。
酒の量が増えすぎたが、少し減ってきている。
仕事もしなければならない。






介護の仕事についている方々にお礼をいいたい。
介護というのは、最後が「死」である。毎日向き合う仕事なのだ。
大変つらい仕事だと思う。


父の場合は、倒れてすぐに市役所に介護認定をお願いした。隣に僕がいて、自分で一日過ごせるのでケアサービスは必要なかった。
寝たきりになったら、僕が出張でいないときにはどうにもならないのでショートステイをお願いすることに成るかと思った。
づい分昔から介護のお仕事押している知り合いの会社に頼んで、ケアマネージャーに色々と手配してもらった。

介護用のベッドや尿瓶などの機器である。

「訪問入浴」と言うサービスが有ることを聞いて、お願いすることにした。
寝たきりでは入浴もままならない。

3人のスタッフの方がきてくれて大変良かった。


倒れてから1ヶ月、お風呂に入るどころではなかった。介護保険の認定前だったのでお試しでお風呂に入れてもらうことになった。
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お風呂に入る前に看護師が血圧や体温をチェックして入れるかどうかを確認する。

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大きめのバンに給湯器と室内に持ち込めるバスタブが積まれている。

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バスタブを室内に設置して、バンの方に水道をつなげ、排水は風呂場に流す。
父のヒゲを電気かみそり(数日前に僕が買った)で剃ってもらう。

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3人でお風呂に入れる。ゆっくりとお湯に浸かり、一ヶ月の汗を流した。気持ちがいいととても喜んでくれた。

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あがったとで血圧を測り、体調を確認する。

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気持ちが良かったと喜び、眠った。ずーっと入れてあげたかったが、僕では叶わなかった。とても感謝している。



梅が満開であった
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