介護施設でのリハビリという凶悪な勘違い、ターミナルケアとしての介護

リハビリというのは「事故や手術のような理由」で運動機能を失った場合に、元に戻そうとすることだ。それは必要だろう。

しかし、昨今の介護施設では、スポーツジムかと見間違えるようなトレーニングルームが有って年寄りを歩かせたり運動させたりしようとする。

その根底には「運動しないから機能が衰える」と言う誤解である。確かに運動している年寄りは元気だから、「運動」ー>「元気」という因果関係が有るように見える、
まあ、いつ前を通ってもあまり利用者は見えないから少し安心だ。

介護と言いながら様々なサービスを提供することで、利益を得るのは仕方がない。

それはあなた方の商売だからな。
jけど欲しがっていない人に無理に売りつけるのはおかしくないかい。
家族にきっと歩けるようになると言って、膝の手術して歩けなくなったら知らん顔だ。
あんたらも、同じ目に合うと考えておくれよ。



いずれ行かなければならない所なのだから、今のうちからお願いしておく。
歩けないからと行って、無理に歩かせようとするのは止めてくれ。治る可能性があっても膝や腰に補強材入れるのは止めてくれ。
足のしびれや痛みにはマッサージくらいは構わない。カテーテルで血管掃除はしないでくれ。注意力を高めるためとか言って輪になって風船突かせるのは止めてくれ。折り紙や切り絵などしたくない。日付も曜日も、わからなくなるだろうけど、今日は何日か訊くのはやめてくれ。毎日過ごすだけの日々には、曜日もなにも意味はないのだから。
食べ物の好き嫌いぐらいさせてくれ。出されたものに文句は言わないから嫌いなものは残しても食わせようとしないでくれ。
毎月血液検査して褒めたり、叱咤激励はやめてくれ。
食べれなくなって(回復の可能性があって)も胃瘻は止めてくれ。
健康診断(血液検査)するのは止めてくれ。年取るっていうのは身体の機能が衰えていくのだから、食事を変えなければ検査値は正常でなくなるに決まっている。
その時の身体の状態に合わせた食べ物を食べたい。
一括りに「年寄り向け」などというのではなく「私向け」の食べ物が良い。
だんだん食べれなくなって、痩せていつか静かに死にたい。
出来るなら、母が愛した庭を見ながら春の終わりに向こうへ行きたい。

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2019年4月の選挙に一緒に行った。自分で着替えて来た。90歳の人生で一度も選挙を休んだことはない。戦争を知っているからいかに選挙が大事か分かっているのだ。選挙のない時代が戦争を生み、今、選挙のある時代が戦争を始めようとしている。民主主義についてはゆっくり考えたい。

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父は、数年前まで「もうダメだ、歩くのも疲れる」とよく嘆いていた。

ずいぶん遠くの公園まで散歩に行っていた。

最近はもう嘆かない。外を歩く機会もめっきり減った。
「父が嘆くたびに僕は、歩く必要がなくなったから歩けなくなっても良いんだよ」といっていた。
医者は、毎日歩かないと筋肉が衰えて歩けなくなるという。歩けなくなるのは運動しないお前が悪いという。
確かにベッドから起き上がれなくなると大変だ。床ずれや下の世話、様々な問題が起こる。

ある朝、父が資源ごみを出していた。

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一回に運べる大きさも量も少ない。
僕がやると言っていても、自分にできることをしようとする。
僕も何もできなくなりながらも、何とか生きようとするのだろうなあ。


自分でできるだけのことをする。これは特に年取ってからのことではない。思うようにならない人生に向き合うときのお話だ。
寛解という言葉の意味である。



ストレイト・ストーリーという大好きな映画が有る。その中で(年老いた)主人公が若者に聞かれる。年取って「一番辛いこと」は何かと。
彼は「若くて元気だった頃を覚えていること」と答える。


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僕は糖尿病という「病=良く効く薬が有る」にかかって(医師に失明宣言され苦しんで)幸運だった。
多くのことが見えるようになった。
商売人は自分の利益のために仕事する。それを非難しても仕方がない。
いずれ自分も通る道だと思えば変えようと思うことも有るだろう。そう思えない所に問題が有る。






「フレイル」という病名が有る。

年取った人の筋肉の衰えを「病気」と考えて治療しようとするのだ。
その考え方の根本には、身体を部品の集まりであり、「筋肉」という部品が衰えたから運動機能が低下しているという考えだ。
「筋肉、脂肪、骨」これらの身体の要素について同じ様に考えられている。
そして運動することで筋肉量が増えると思いこんでいるのだ。

かなりひどい「医者の勘違い、白衣の妄言」だ。毎日トレーニングしていれば永遠に人は死なないか?運動は万能薬なのか?
間違えていると思う。

身体というコロニーは複雑だ。筋肉は「タンパク質のお財布」と言われている。毎日5-20%分解されて、身体というコロニーで利用される。ほぼ同量がまた財布に戻される。

「細胞」の中で代謝され分解されたタンパク質は「遊離アミノ酸・コルステロール・アルブミン」といった様々な形で「血液+間質液」に放出される。
「免疫という壊し屋」が破壊したメンバーも同様にバラされて放出される。
「20兆個有ると言われる赤血球」は脾臓で毎秒120万個破壊されて、骨髄の造血細胞で同数が作られる。
皮膚や粘膜は外側に押し出せれながら、身体から剥離していく。

同様に、脂肪組織は脂質(細胞膜の材料)をプールして、骨組織はカルシュウム(神経伝達の重要なプレイヤー)をプールする。
食事と細胞の関係が身体というコロニーを形つくっているのだ。
その時にその形になっているのはそれなりの意味がある。
かっこ悪いからと言って脂肪を凍らせて取り除くなどという蛮行は止めておいた方が良いと思う。
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身体というコロニーで生きているメンバー『私細胞(父母のDNAに起因する細胞)やマイクロバイオーム(病原菌やウイルスや様々な「菌」)』が利用する。
そしてコロニーのメンバーはそれぞれの細胞で代謝して様々な物質を分解して放出する。
恐ろしく複雑なキャッチボールがそこには存在する。
問題は「メンバー」のリクエストはいかにやり取りされているかなのだ。

このリクエストこそが「欲望(性欲・食欲)」のもとであり、『トラブル・生の喜び・離別の悲しみ』つまり「森羅万象」を生むのである。



徐々に身体というコロニー全体が衰えていき、お財布の中身もさほど必要がなくなる。
コロニーは全体で衰える。筋肉だけがムキムキの老人っておかしくないかい。

だんだん小さくなって、スーッと消えることができればいいのに。