幸運な病のレシピ( 990 )夜:イカ焼機でイカ焼、冷凍イカ刺身、汁、父89歳最後の日(笑)
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/2/8の食事 】
明日は90歳の誕生日である。妻と僕と同じくらいの誕生日なので3人で一気にやってしまう。
ちょっといい酒を開けた。明日も開けよう(笑)。
幸運な病のレシピ( 990 )夜:イカ焼機でイカ焼、冷凍イカ刺身、汁、父89歳最後の日(笑)
東京で全て失い、新潟に帰ってきた僕を父は助けてくれた。
母は亡くなる数年前から何もできなくなり、多くの薬に依存するようになり、僕の糖尿病は失明を宣告された、3年前に母は亡くなり、父の遺産(大したものではないが)を狙うハゲタカに苦しめられた。
母が去った後、僕ら家族は大変な数年を過ごした。
良く乗り切ったと思う。今ではハゲタカを哀れに思う。家族というシェルターの崩壊は社会全体に及んでいる。
私たちのメンタリティはこの大きな変化についていけないのだ。そして形だけなぞっている介護政策や社会制度は多くの人を苦しめている。
30年後の自分、家族、父の人生、子供達の未来どこに出口があるのかはわからないが、何か見つけたい。
いいイカがなかったので、冷凍の刺身イカを使ってイカ焼きを作った。朝からの願いが叶った(笑)。もしかしたら「イカ焼機」ってすごいなあ。
うまかった。
感慨深い、今夜はたくさん飲みそうである。
酒休んだのは昨日だけかい!
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京で会社を興したがうまくいかず、借金まみれになって、33歳のときに新潟に帰ってきた。
いくつか職を変わったが結局は父が経理部長をしていた鉄工場に努めた。
昨日までソフト会社にいた僕にとっては辛かった。手取りは14万円で親方は高校卒業したばかりの20歳。
しかし、父母はもっと辛かっただろう。
東京に行って大口叩いていた子供が地元に戻って鉄工場でナッパ服着て鉄切っているのだ。
それ見たことかと笑う連中も多かった。縁故に頼んでもそんな生意気な男を雇う会社などないと断られた。
「越後鶴亀」という蔵元に出会ったのはそんな時だった。
「禍福は糾える鶴亀の如し」母には感謝を伝えることができなかった。
せめて父と100歳まで僕を育ててくれたこの庭を眺めながら共に過す。
昨日の90歳の誕生日イブ(今日がバースデイ)にこの酒を選んだ。妻と三人で盃を交わした。
今でも僕は人を殺す夢を見る。
しかし、それは異常ではないと知った。
現実に向き合った時の当たり前の反応なのだ。
文句があるなら俺を殺しに来い。医者に失明を宣告され一度は捨てた命である。糖尿病だしな(笑)。
イカ焼きそば食っちまった。
相当血糖値上がったろうなあ。
明日の朝起きたら測ることにして寝た。
この食事の血糖値プロファイル
僕は正真正銘の2型糖尿病の患者である。高血糖は食事に対する身体の当たり前の反応だ。そして、単なるマーカーでしかない。生活習慣病(ガン、認知症、脳溢血)は食事の反映でしかないのだ。そして、僕のマーカー(血糖値)が正常な食事は生活習慣病から自由になる食事。
月 日 時 分 経過分 mg/dl コメント 2 9 05 50 145 さっき、おしっこした時かなり出たんだろうなあ(笑)。 masaya50.hatenadiary.jp
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