幸運な病のレシピ( 991 )朝:後片付けを科学する。パートナーが先に死んでも毎日食事を作れるために切磋琢磨する(笑)。

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/2/9の食事 】

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この80年の社会の変化は、産業の構造を変えた。自営業も商店も農家も全てグローバル企業に飲み込まれた。
家族の担っていた役割は、機能として公共サービスに移管された。子供と親は一緒に暮らせない社会になってしまった。一緒に暮らしていなければ、父も母もただの汚いじじいとばばあに過ぎない。


幸運な病のレシピ( 991 )朝:後片付けを科学する。パートナーが先に死んでも毎日食事を作れるために切磋琢磨する(笑)。

家族という「循環し維持され続けるシェルター」が私たちを守っていた。しかし、それは既にない。
老人は悲しい、社会の中で片隅に追いやられる。何を求めようとお荷物で、年金のATMでしかなくなるのだ。
施設に入って自分にマッチした食事を求めるのは間違いである。税金で運用される施設は「政治的に正しい食事」を配給されるのだ。
そして最初に削られるのは食事の予算だ。商品化された食事は、生活習慣病を呼び寄せる。



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炭水化物は魅力的すぎるから食卓から「生命=食物の細胞の中外にある代謝物に満ちた水溶液」が決定的に足りないのだ(私というコロニーに必要なもので医学が分析しきれない高分子化合物)。
素材(乾燥・精製を通らない)から直接、毎日作るほかないのだ。



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そして、人生のパートナーに去られて一人きりになっても食事を作り続けなければならない。
人様の「厄介」にならないで生活できるように僕は食べ物の神様に祈る。
美味しさを大事にする、もったいないことをしない、昔からの調理法を大事にする。

そして一番大事なことは、「後片付けを厭わない」ことだ。
これができないから食事を作れない。

そして辛い死に方をする。
医者も栄養士も、プログラマも職の貴賎を問わない。