幸運な病のレシピ( 795 )朝:2018年の初雪、昨日の残り朝ごはん、マユの雪遊び、池の雪囲い
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/12/8の食事 】
昨日の残りの汁があったので食べた。
カツオのたたきをみんな食べた。焼きししゃもの食べた。
忙しい時や腹が減った時に食べる物が残っているようになっていると良い。
煮付けと焼き魚などであろうか。
とにかく空腹時に、炭水化物を食べなくとも済むように食べ物を用意している。これが難しい。何かと理由をつけてご飯食べたくなる。
一般的な家庭では、ご飯があって、ふりかけでもかけるところだろう。
トーストに目玉焼きかもしれない。
ご飯は食べた時にブドウ糖を消費していなかったら(運動していなかったら)脂質に変わる。
このことをもっとしっかりと認識しないとおかしな議論になる。
炭水化物抜きでは満足できないだろう。それが恐ろしいところなのだ。炭水化物由来の脂質の中には必須脂肪酸が含まれていない上に、低コストで満腹が訪れるので必須アミノ酸(肉や魚)を摂らないで食事を終わらせる。
ヒトは経済的な生物なのである(笑)。
しかし、ご飯は食べた時にブドウ糖を消費していなかったら(運動していなかったら)脂質に変わる。
このことをもっとしっかりと認識しないとおかしな議論になる。
○脂肪組織内で脂質に変わる代謝傾向がありインスリンが十分機能していると肥満する。
○肝臓で資質に変わる代謝系が強力だと血液内の中性脂肪が上がるが、胆汁酸に代謝される傾向が高いとすぐに落ちる。
○胆汁酸が小腸から吸収されると、コルステロールが上がる。
○インスリンが十分機能しないと血糖値が上がる。
一人一人の代謝傾向は全く違う。皿の上をいくらながめても体内でどう変わっていくのかはわからない。
肥満という一目でわかる検査値は私たちを騙す。
かつて、生活習慣病が「贅沢病」であった時代の名残である。痩せていうことは免罪符とはならない。
身体は脂質とタンパク質が半々である。
炭水化物は食べた後の2時間くらいの間、運動をしていなかったら脂質に代謝されるのだ(肝臓や筋肉ないでグリコーゲンとして保存されるが微々たるものである)。
多すぎる脂質はあまり良いことにならない。
毎日「スプーンいっぱいの必須脂肪酸をとるなどという話」をまに受ける方がおかしい。
テレビ番組の翌日スーパーでは「アマニ油」が売り切れたそうである。
「そんなもの舐めるくらいなら、もっと美味しく毎日の料理を作った方がいい。
「炭水化物」は「脂質」なのだから(両者ともに、水素と炭素のコンテナなのだ)。
そしてブドウ糖はすべての生命のエネルギーリサイクルの元である。
誰も抗えない魅力がある。
EPAが足りないのではない、ブドウ糖由来の脂質が多すぎるから相対的に必須脂肪酸が不足するのだ。
問題の見方を変えよう。
食事を作るノウハウを失ってしまったことこそが問題なのだ。家族という「自分にとって正しい食事」作りのノウハウを維持してきた装置が失われたのである。
ではどうすれば、新しいノウハウを作ることができるだろうか?そこが問題である。
30年後、僕が自分で食事を作れなくなり、誰かにつくってもらった食事で生きるほかなくなった時、時代がそう考えてくれていなかったら、辛い死に方をする。
自分の問題である。
5時位に外を見ると雪が降っていた。屋根が白くなったのは初めてである。




10時くらいに池に雪囲いをした。これで、冬の到来である。たいてい年末までに一回溶けるのだが今年はどうだろうか?
どのみち「人というコロニー」は死ぬ。
人を操っているマイクロバイオームにとっては引っ越し先を探すだけである。
生活習慣病は、ブドウ糖を好む小さな神々に操られた「人というコロニー」にとっての災厄でしかない。
マユも外で遊ばせた。嬉しそうである。そして雪が嬉しいのはマユだけの特権ではない。
大根はもう少し。
クニャリと半分に折れるくらいでたいてい漬け込む。
今年は半分は早めにつけて、残りはもっと乾いてから追加しようかなあ。
どちらにしても、塩と糠買ってこなくっちゃ。
父が来たので、梅干しを出して朝食を作った。
昨年の梅干しはまだ半分残っている。
紀州のつか方で紫蘇は入れていないので赤味はないが、うまい。
塩が上がってくる。紫蘇があるとそうならないようだ。面白い。
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