僕のマイクロバイオーム論(19) 本能とマイクロバイオームはどこが違う?  善悪・良心・規範・社会・家族の根源(1)

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【 起 】

マイクロバイオームがどれだけ革命的な発見であるかについての小論である。



「理性」と「本能」、「教育」と「生まれ」、「学習」と「生得」、「法」と「犯罪」これらの概念は、私達の生活における葛藤を説明する概念である。


ステディ(コミュニティで認められたパートナー)がいるのに、そのパートナー以外とセックスをしたい。
飲んではいけないと思いながらも酒を飲んでしまう。
満員電車で触ってはいけないと思うのに触ってしまう。


これらは全て、「わかちゃちゃいるけどやめられない」ということである。




【 承 】

様々な「理性・学習・教育」において許されない行為を行いたいと思う時、私達は「本能」と言う言葉で説明をする。

そして「本能に理性」が負けると言い、その行為を糾弾するコミュニティに自分自身を再度受け入れてもらおうとする。
このコミュニティに対しての「再登録」のメカニズムは面白い。

例えば、性犯罪を行ったことがコミュニティにバレた時を考えよう。
その人の行為は「糾弾される。そして、「謝罪して」その人は受け入れられる。
これを「再登録」とここでは呼ぶ(その人に価値が付加されるのである)。



しかし、再登録時に付加された価値は最初の登録時点での価値とは全く異なったものである。

コミュニティは一人一人の持っている価値を供出して、それに見合った利益を再分配を受けることで成り立つ。



多くの芸能人が不倫の報道を受けて大きくキャラが変わる。
この現象はまさに、そのパソナリティがコミュニティでの振舞いにバイアスがかかるということである。

多くのドラマで、過去にAVに出ていた奥様がコミュニティ(夫)にバラされそうになるなどというシチュエーションはそれである。




【 転 】
では、このようなコミュニティに対しての逸脱を「本能」が命じているという考え方の問題点はなにか?

「本能」というのは「人の設計図=DNA」に組み込まれたものと定義される。
つまり、みんな持っているものでありながら「理性」がそれを抑えていると考えているのである。


だから、もし自分が「全くそう感じない場合」はそういう行為をするのは「異常・病気・犯罪」と定義できるのである。


おそらく、ほぼすべての「ヒト」はパートナー以外とセックスをしたいと考えるのだろう。
僕もそうだし、カーター大統領もそうだ。

しかし、その相手が「子供・老人・同性・二次元・犬・牛・羊(とてもいいそうである)・蒟蒻・カップ麺」であったりすると「異常・病気・犯罪」と認識される。


マイクロバイオームは世界に充満するウイルス(及び小さな生命)である。
単細胞の真核生命や多細胞生命がが含まれるが、いずれもその中には入れ子の様にマイクロバイオームが存在して操られている。

そして、生物というコロニーの中に無数に生息して、そこのコロニーに外部からマイクロバイオームを受け入れることで自分を変えて、環境に適応してきた。受け入れるためにはコロニーをコントロールする必要がある。




つまり、私達は、自分を含めてある程度類型化出来ると考えている。
しかし、生命は、「種」などという大雑把な外見的特徴では分類できない「とんでもない数のバリエーション」が存在するのである。

そしてマイクロバイオームは、報酬物質(様々なメッセンジャー)を分泌することでホストを操縦する。
そうか、ビール飲みたいのは、マイクロバイオームが飲みたがっているんだ(笑)。
だからといって許されるわけではない。






本能というのは、『許容範囲内の逸脱』を説明するための言葉である。
理性というのは、『トラブルが最低になるためのルール』である。




「幼児をネグレクトして殺してしまう夫婦」を私達は「母性本能」がないと言い、「異常・病気・犯罪」という。
しかし、マイクロバイオーム論に従えば、その夫婦が生活していた環境では子供を育てるのに必要な物が足りなかったのである。同じような社会的環境であっても、ネグレクトしない夫婦もいるだろう。
単純に環境だけでは説明がつかない。




【 結 】

しかし、マイクロバイオームと行動の関係を証明することは不可能に近い。
また、マイクロバイオーム自身がDNAを組み替えながら自分自身を変えていっている。

善玉菌と悪玉菌などという幼稚な説明は何も解決しない。
医学による制御などは意味がない(出来ると考えるのは心底無知な馬鹿である)。


そんな事を求めているのではない。


私達は互いに違うことを認めあい、その違いに起因する「差別や不幸」が少ない社会を見つける事ができると夢見ている。

「自己責任」をタテに個人を攻撃するのは理にかなっていない事も説明できる。

最大の問題は「自由意志」は存在するのかと言う問いである。


極めて神学的である。

マイクロバイオームは森羅万象に潜む神なのだから。


== この項目は続く ===~

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