社会が「オレオレ詐欺」を生んでいる。

犯罪は社会を映す鏡である。
先日テレビでオレオレ詐欺は、最近は銀行に振り込ませないで、家まで取りに行くると言っていた。
銀行を使うのは対策がなされているということである。

しかし、本質的な問題を見逃している。
老人から金を盗むことが問題なのではない。

社会の変化がこの犯罪に現れている。


オレオレ詐欺は、

「親を便利なATMとしか考えない子供」
          と
「一人で生きる寂しい親(ボケ始めている)」


このセットが存在しないと成立しない。


このような「戸籍上の親子」がいかに社会に多いかである。
離れて暮らしているうちに自分を守り育んでくれた親は、いつの間にか「知らないば婆さんと爺さん」に変わっているのである。


それでも年に一度は小遣いもらいにくるし、父母は寿司買って待っていてくれる。
どうせ、あの世に持っていけるものではない。
喜んでもらえれば嬉しいのだ。一緒に飯食って、楽しいひと時を過ごしててやればいい。
それだけで大喜びなのだ。






とは言っても、詐欺師と変わらない子供も多い。
徐々に親の精神が子供に戻っていくのである。長く事を覚えて入れなくなってくる。
認知症と呼バレている状況である。
「来てすぐに金を渡さないで、食事してゆっくりして、よく日帰る時に小遣い渡せばいい」といくら言っても、喜ぶ顔が見たいからきたらすぐに渡すという。
「そんなこと言うから、前回来た時に食事もしないで金もらったらすぐ帰っただろう」と言っても、覚えていないのである。





年を取り、食事を作ろうとしても鍋を隅にする。何をしていたのか忘れる、今日の日付もわからない。
何もないところで転んで骨折する。毎日がますます不安になる。
子供に頼ろうとするのだ。そんな時に電話がきたら大喜びで助けてやろうとする。
困っていたなら金を渡そうとするだろう。


声が聞けただけでも嬉しいのだ。


「親に呼ばれた」と言って帰省して、小遣いもらったら「急用ができた」と言っては親と食事もしないで帰る。
楽しみにしていた子供との食事が突然消えて、残された親は何日も子供を探す。

詐欺師だ。


電話して事業資金が足りないと言っては振り込ませて、一銭ももらっていないと嘯く。
振込用紙が残っていたことも知らずに。


泥棒でクソ野郎だ。





とは言っても安心するがいい。
老人は、皆忘れる。お前が認知症といって笑い物にする状態だ。

金の続く限りむしり取りに来ればいい。どうせ何も使い用のない金なのだ。

もう一人では、何もできないのだ。

「老い」という牢獄に繋がれているのだ。



安心しろお前たちも辿る道だ。

あの世で存分に謝るがいい。



僕も親にはとてもたくさんお金を頂いた。
感謝してもし切れない。
事業がうまくいかないで死のうと思った時にお借りしたお金で、今の僕は生きている。

2015年糖尿病の合併症が訪れた時、母は一緒に生きてくれた。
家族の意味をその時知った。
2016年母が亡くなって、僕は死と隣り合わせにいた。
父がいたから向こう側にいかないで今ここにいる。




まだ悪夢を見る。

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