血糖値を考える。間質液の血糖測定から気がついたこと。

もう、4000回以上の測定を繰り返しただろうか。
最近は安定してきているので、BSPで管理が止まっているのであるが(笑)、血糖値を医療がどう捉えているかは分かる。

とにかく職業柄、ターゲットの業界のことをしっかり調べてから仕事にかかるので、自分の病についてもしっかり研究した。
昨日、友人の医師の人と話しをしていてはっと気がついた。






糖尿病学会(医師)の公式見解ではおおよそ、こんな感じのことが言われている。

血液は5リットルである。
血糖値100mg/dlとして、体内には5gのブドウ糖が流れている。
肝臓には100g程度のグリコーゲンが貯蔵されている。
10時間分程度の細胞の使用量である。
代謝の異常が糖尿病で、ブドウ糖が多く血管を流れると、血管を傷つけるから眼底網膜所や腎不全が起こる。
こんな感じであろう。


この様な「糖尿病専門内科医」の考えている「糖尿病・血糖値」に疑問がある。
というか、あまりに短絡的で話にならない。







「血糖値」と言われるが、重要なのは、血液の中にあるブドウ糖の量ではなく、体内に存在するブドウ糖の量ではないかということである。

人の身体の70%は水である。
つまり、70kgの体重ならば、50kg(50リットル)は水である。
その内訳は5kg(5リットル)の血液と、「間質液+細胞構成要素」45kgである。

血管(延べ延長10万キロ)の役割は、赤血球を閉じ込めて、高速で体内を循環させてガス交換を行うことである。動脈・静脈(5千キロ)から分岐している毛細血管(9万5千キロ)には赤血球が通り抜けられない穴が空いていてそこを通じて間質液を均一の状態にする(血液関門の問題はこちらで)。

ブドウ糖は食事で血液に溶け込む。
そして速やかに体内に循環しながら間質液に混ざり込む。



間質液に溶け込んだブドウ糖は細胞に取り込まれる。
筋肉と脂肪は通常は取り込みは禁じられているが、インスリンが分泌されることで取り込みを許可される。


そう考えた時、体全体に溶け込んでいるブドウ糖の量はどのくらいなのだろうか?







細胞は、常に、生命活動を維持するために「水素」が必要である。
ミトコンドリアでADP+P-->ATPのリサイクルには「水素(H)」が使われる。

植物においては「水素(H)」を安全に運ぶのが「炭水化物(デンプン=ブドウ糖)」である。
動物においては「脂質」もそれに加わる。つまり、ブドウ糖が長く結合した「デンプン」は動物にとっては扱いづらいために脂質とブドウ糖が発明されたのである。


「水素(H)」は不安定なので「炭素(C)」が必要である。

しかし、細胞内で「水素(H)」を「炭素(C)」から遊離させてADP+P-->ATPのリサイクルを行った時、遊離した「水素(H)」と「炭素(C)」は強力な吸着剤「酸素(O)」に結合して「二酸化炭素(CO2)」と「水=おしっこ(H2O)」になるのである。



生命エネルギーの流れの一環として糖代謝を考えなければならない











最近、この商品が間質液のブドウ糖量を測ると言うことで、買う人も多い。

毛細血管の血液からの測定に比較して値が高くなるのだという。

当然であろう、毛細血管内のブドウ糖量と血管内のブドウ糖の量も違う。
おそらく、細胞内はもっとばらつきがある。


うーん、今度買って研究してみないといかんなあ。

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「血糖値が高い」ということと、「糖尿病」の間の関係は『相関関係』ではあるが『因果関係』ではないと持っている。
血糖値が高いという分かりやすい特徴にごまかされてはならない。

検査値が正常でも、食事が適切でなければ体内の細胞は死に続ける。同時に生まれ、置き換わられていく。
やがて、細胞の死が生よりも多くなっていく。
それが老化だ。

身体というコロニーを維持しきれないまでに「細胞-組織」の死が多くなった時、そのコロニーは「死」を迎える。


常に変わっていく環境に適応するために細胞は新たに生まれ変わる。生きるということは環境を変えることである。そして自分が変えた環境は今までの自分を傷つける。そして自分は変わっていく。しかし、やがて限界が来る。それが死である。





今僕が考えている仮説は「ブドウ糖悪玉説」ではない。
糖質制限」の考え方は基本的に「ブドウ糖」を悪玉と見ている。


お店で買う食事は、競争の圧力にさらされているから自ずから「炭水化物」が多くなる。
そして家では食事が作られなくなってきている。
食事から「タンパク質」を追い出していることが問題なのだと感じている。




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