僕のマイクロバイオーム論(11) 仮説と検証こそが科学、不合理な世界をありのままに。やっぱり最後は「ドーキンス」(笑)

僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちら


ドーキンスは私たちは「DNAの乗り物」なのだと言った。
彼の議論は「人」という存在を絶対視しない視点を科学に持ち込んだ所が素晴らしい。

では、社会科学の分野では「人」という存在を絶対視しない事は可能だろうか?
この不合理な「人」という存在を記述しようとする科学において、そんなことが可能なのか考えさせられた。





初老の女性(失礼)が、同年代の男性と結婚したニュースを馬鹿にしたような発言をした若造がいた。僕はそういう若造に腹が立つ。自分が年を取らないとでも思っているのだろうか?


70歳とかとんでもない年齢で若い奥さんをもらい子供を作ることを時に聞く。何故だろうか?


孫はかわいいというが何故だろうか?


「老人が、マスターベーションをしながら死んでいる」のが見つかったというニュースを半ば馬鹿にしたように報じるメディアは嫌いだ。


老人がセックスを望むのはおかしいのだろうか?



バレたら破滅するということがわかりながら未成年に性交渉を強要するのは何故だろうか?
ケビン・スペイシーの事例はもう少し検討したい。


「握手会」などという肉体的接触はマイクロバイオームの交流があるだろう。
考えてみれば、恐ろしい。金で買えるのだ。売春との線引があやふやになっていく。






何故ペットはかわいいのだろうか?
梅毒スピロヘータは元々は牛の感染症だったという。誰が人に持ち込んだのだろう。








子供に母乳を与える時、「子供というマイクロバイオームの塊」から母親には何が渡されるのか?
ネグレクトの意味はなんだろうか?

粘膜の接触はマイクロバイオームの移動を生むのではないか?
夫婦の口内のマイクロバイオーム環境は類似するという(あまりキスをしないとにないかなあ)。



しかし、「性」とはいかなるものだと定義するべきだろうか?



世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる

世界は細菌にあふれ、人は細菌によって生かされる






マイクロバイオームの海に浮かぶ小船であろ私たちは、生活を通じてマイクロバイオームのやり取りを行っている。

しかし、忘れてはならない、私達のために「ミクロの生命」はあるのであはない。
「善玉菌・悪玉菌」などという幼稚な見方は物事の本質を見誤る。
「マイクロバイオームの革命」はあらゆる価値観を変えざるを得ない。





そこで僕の今の仮説である。

目に見える生命と言うものは『「私細胞」とマイクロバイオームが共同運用を行っているコロニー』であり、このコロニーは安定的な代謝を行いマイクロバイオームを世界に拡散する。


マイクロバイオームが満ち満ちている環境でなければ「私細胞」はコロニーを構築できない。
「私細胞」とはそのコロニーでしか生きることの出来ない細胞。常に環境は変る。その環境に適応することで生命は生活圏を広げていく。マイクロバイオームは変化に対応する情報を見つける。そして。コロニー間を渡り歩いて様々な情報を伝える役割を持つ。




コロニーの中でマイクロバイオームは他のコロニーからの情報を欲しがるのである。
つまり、「子供を作ること」は性の目的ではない。

無論、自分が自由にできるマイクロバイオームの貯蔵庫はほしいから、子供を作ること(や養子縁組すること)はそれなりの価値がある。
セレブが沢山の子供を養子縁組するのはそういう観点から見ると納得がいく(ウッディ・アレン、アンジェルーナジョリーと例を上げればキリがない)。




マイクロバイオームが様々なコロニーと接することが目的なのである。
そして私達が「意識」と呼んでいるコロニーの操縦者はコロニーを維持するために様々なルールを持つ。
分化、宗教、政治、経済、法律、そして家族というルールを記憶する装置はこの目的のためにある。


青ひげなどは、顕著な例だが、「子供を食う楽しみ」は繰り返し民話、物語、芸術作品に現れる。
子供の頬ずりしたりすることは他人の子供には許されないが、自分の家族ならば許される。
孫に頬ずりするには親の前でなければ許されないだろう。

逆に言えば、それが許されるのは家族といえる近い関係だということだ。


デストラップという映画で、主人公と敵役が突然農耕なキスをするシーンでびっくりしたことを思いだす。
行為は関係を連想させる。

私達の、関係性とは権実の影でしかない。




子供は、マイクロバイオームの増幅器なのだ。
それも大人にとって美味しいものである。

永六輔さんのエッセイで、若いカップルのセックスの後処理をしたちり紙をお湯に溶いて飲む老人の話が出てくる。
まさに、マイクロバイオームと他人の私細胞のスープである。

する側にとって「口淫」がとても気持ちがいいというアンケートを読んだことがある。

何かの本で、親戚の赤ちゃんのチンチンを舐める老人の話を読んだ。






皆説明がつく。

私たちの「納得できない欲望」は、マイクロバイオームが操っているのだ。
だからといって、コミュニティで許してもらえるわけではない。
せいぜいで情状酌量までである。

それを許しだすと社会が破綻するのである。まさに痴情殺人、ストーカーまでが許されることになる。
皆我慢してるんだからね(笑)。




ここでもう一つ仮説が付け加わる。
家族というのは、マイクロバイオームを独占して、安全を守ろうとする。

外で知らない女とセックスしてきて、家族というシェルターに災厄を持ち込みことは多くの文化で容認されていない。
逆に、家庭の中のパートナーが許せば、容認される。
この辺も面白い。それぞれの文化が記述する「マイクロバイオームの海」もう少し見ていきたい。





そして、家族の中に侵入してくる「誰か」はまさにゾンビ的恐怖である。笑うセールスマンだったかなあ呼んだ記憶がある。




共に食事をする時、計り知れない数のマイクロバイオームの交流がある。
セックスやトイレ、同じ部屋にいるだけで、その空間はマイクロバイオームとその生産物で充満する。



人は死ぬと、すぐに「私細胞」は破壊され始める。共同運用していたミクロの生命は躯から離れ新たな身体を求める。
母の通夜(なくなった直後の一晩)を思い出す。
あの部屋には、母とともに生きていたマイクロバイオームが静かに流れ出していたのかなあ。
魂には重さがある。魂がマイクロバイオームならばだが......










性犯罪を犯した人の手記を読んだことがある。
少年を犯したいと思いどうしようもなくなるのである。
車で遠くの自動販売機まで雑誌を買いに行き、マスターベオションをするがどうしても欲望は止まらない。
登下校中の子供を見るとそうにもならなくなる。
そして、罪を犯す。なんとかする方法はあるのだろうか?

1960年代までイギリスではゲイは病気であり、治療しないことは犯罪であった。








安吾堕落論の中で、欲望と社会的な規範の葛藤を論じている。
ソシュールは「ラング」と「パロール」という概念で共通のルールと逸脱する個人そして変化を定義している。
ドフトエフスキーは神の不在を証明しながら、神を見つけている。
矛盾して、説明ができない多くの苦痛のもとは私達の中外にいる森羅万象の神々が作っている。











進化とは「ミクロの生命の環境への適応」であり、私達の目に見える形態上の差異は単なる影にしか過ぎない。
今西錦司から始まり、僕の進化論の旅はまだ続いている。



マイクロバイオームが互いに呑み込み合いながらDNAの交換を行い新たなる環境を作りながら適応していく。
そのダイナミックな変質の姿と相互作用は計り知ることは出来ない。

昨今の「複雑系の研究」は基本的に解析(再現とシュミレーション)が可能だと考えるところから始まる。
しかし、僕に解析は不可能だとしか思えない。
マイクロバイオームの主体であるミクロの生命が常に遺伝子を組み替えていることを考慮に入れなければならない。
ダイナミックな構成要素が作り出すネットワークを予想することは出来ない。
しかし時間は進む、そして現実は別な形を見せる。
あたかも何かに誘導されているかのごとく「理」にかなっているのだ。




マイクロバイオームという考え方に「ハマって」しまったのか?
色々な問題を破綻なく説明できるのである。






しかし、それで苦痛が止むわけではない。
問題は見えたところから始まるのだ。
そしてこの仮説は、心に平安を与えるだろうか。


利己的な遺伝子 <増補新装版>

利己的な遺伝子 <増補新装版>



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僕の信じている神様は、雲の上で白い服着てニコニコしている訳ではない。

アルフレッド・ベスターのSF作品「虎よ、虎よ!」はウイリアムブレイクの詩をベースにしている。
「メンタリスト」といいうTVシリーズでもこの詩は重要な役割を担っている。

そして、私達の意識は、自分という小船を翻弄する荒波に悪態をつく。
呪う対象としての「神」なのである。
そして時に訪れる凪に感謝する。


人生は苦痛の連続である。

THE TIGER from 『The Songs of Experiences』 William Blake

Tyger! Tyger! burning bright
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Could frame thy fearful symmetry?

In what distant deeps or skies
Burnt the fire of thine eyes?
On what wings dare he aspire?
What the hand dare sieze the fire?

And what shoulder, & what art.
Could twist the sinews of thy heart?
And when thy heart began to beat,
What dread hand? & what dread feet?

What the hammer? what the chain?
In what furnace was thy brain?
What the anvil? what dread grasp
Dare its deadly terrors clasp?

When the stars threw down their spears,
And watered heaven with their tears,
Did he smile his work to see?
Did he who made the Lamb make thee?

Tyger! Tyger! burning bright
In the forests of the night,
What immortal hand or eye
Dare frame thy fearful symmetry?