沖縄料理から考える。私達の心は『自由を求め、「拘束する家族という枠」の破壊』を望む。

愛媛からの帰りに東京の沖縄料理やさんにお邪魔した。



東京に住んでいた頃、さまよってお邪魔したことがあるなあ。
もう30年も前だ。
今回も素晴らしい「ラフティ・トン足・海ぶどう」を頂いた。
色々と考えることが多かった。



沖縄はかつて平均寿命も長く、健康な年寄りの多い土地と考えられていた。
しかし、昨今の風潮では全く異なってきているという。

医者や研究者は「運動しなくなった、生活が西欧化した」といつもの指摘をする。
僕は、「家」という「食事(生活)を記憶して実践する装置」が消えだったためだと思う。

僕らは「自由主義市場」という生活環境に放り込まれたときに、こういう現象が起こるのだ。

自律した「市場」を持ち生活の規範を維持する家族という装置が守られているところでは起こらない。

しかし、自由主義市場は簡単に家族を破壊する。
そして、私達の心は『自由を求め、「拘束する家族という枠」の破壊』を望む。

事は単純ではない。





このお店であります。
抱瓶(ダチビン)さんである。
店員の人がみんな顎髭を生やしていて羨ましかった。
僕は店員になれないかもしれない。










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