Aim carefully please 細心の注意を払って進め。

少し、読み込んでしまった。
なかなか面白い。

生物学と薬学の狭間に―エイムケアフリープリーズ (人と学問選書)

生物学と薬学の狭間に―エイムケアフリープリーズ (人と学問選書)


そもそもは「生命のエネルギー」を知りたくて、読んだ本の中でこの本を見つけたのである。

これは名作であろう。いくつもの謎が解けたというか、一つの線で説明できる仮設が僕の中で成立した。
『幸運な病のスタディ』(11) 脂肪は燃焼しない 細胞の栄養学(1)





しかし、昨今の「分子標的型の薬」には疑問がある。
二井將光先生はどうお考えなのだろうか?



この本も編集しているのだが、「糖尿病」に関する記述は読んでいて呆れる内容であった。
前の2冊が素晴らしかっただけに残念である。






無論、生物学が「製薬会社」と言う出口(研究のスポンサー)を見つけた事はわかる。
しかし、多くの災厄は、特効薬が生んでいる。
「臨床の苦しさ」を消し飛ばす特効薬があれば、生活を変える必要はない。


しかし、昨今の「分子標的型」の薬(95%)は依存を生む。





私達は否応なく困難な現実に向き合わなければならない。
僕は自分で食事を作ることで「インスリンや薬」を使わなくとも血糖値は正常で生きていれる。


しかし、食事作りというコストはバカにならない。
また、僕のような仕事についていなければ実現は難しい。







いろいろな人と話しをしていると、ほぼ、自分では食事を作っていない。
せいぜい、ご飯焚いて、スーパーのおかず買ってきたり、肉焼いて焼肉のタレかけて、ちょっぴりのサラダ食べて野菜中心のヘルシーな食卓なのである。
僕の母のように素材から料理を作らないことの理由を聞けば、(おそらく)「(忙しいから)食事を作っている隙などない」という憤懣するだろう。
そもそも食事に関して他人になにか言われることは物凄く嫌である。

僕もデブの頃、散々言われたから、大変良くわかる。

しかし、生活習慣病は、分子標的型の薬で検査値を正常にして、生活を変えないでいるために60-70歳以降に破壊的な姿を現す。


『(忙しいから)癌になってもいい』
『(忙しいから)認知症になっても構わない』
『(忙しいから)脳溢血になっても仕方がない』
『(忙しいから)ウツになったら勲章だ、だから薬で忘れよう』

そんなふうに言えるだろうか?







無論、「正しい食事」が、「自由主義経済の市場(スーパーやコンビニや食堂やレストラン)」で手に入ればいい。
しかし、それは現実的・論理的に不可能である。



マーケットは商品の価格で競争を勝ち抜かねばならない。
それが現実である。


マーケットは食べる人間一人一人に合ったものを作る訳にはいかない。
家庭料理というのは、一人一人の体調や好み(体内の代謝傾向の発現)に沿って、同じ遺伝形質を持った人に合わせた食材の調理と維持が基本である。
であるから、調理の場所がキッチンであるから家庭料理ではない。レンジでチンは調理遠いどこかで行っている。
調理の場所の問題ではなく、顔の見える距離で作られているかである。

もっと言うならば、今日作ったものを食べている顔をみて、明日その結果をフィードバックして作るという「離れ業」がなされているかである(かつて私達はそれを母の愛と呼んだ)。








これが「正しい食事」なのだ。

生命科学は生命の姿を描き出している。その姿は美しく、(医学ではなく)私達の生活こそが災厄を遠ざけると信じている。
それが、僕が55歳から見つけた「学び=スタディ」なのだ。



このブログのメインのシリーズ「幸運な病のレシピ」は僕にとっての正しさを探そうという試みである。





生活を変えるというのは、社会を、ひいては世界を変えることなのだ。
そして答えは自分の中にある(笑)。



まさに、Aim carefullyである。




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