父と酒、食事の意味

90歳にならんとする父は毎日よく飲む。
前回は3/7に10本買っていた。
今回は4/20である。

どうなんだろうか、長生きのためには飲ませないほうが良いといわれるが、本人はすごく楽しい。

おまけに、散歩行って勝手に飲むくらいだから、家で飲ませなかったらどっかで飲むしね。
肉魚の多い料理とともに、食べるのが幸せかもしれないと思う。


食卓は、管理したり、強制したりする場ではない。
しかし、権威の場となりがちである。
いま食事の事を考えている。
次の本の構想になる。





毎日、父は「いつも作ってくれてありがとう」という。




以下友人へのメールの一部分 ================

ベッカーさんは言います。「もっと、毎日の食事を大事にしよう」と言っています。

映画などで見ら事がある食事の前に祈りを捧げるシーンや、皆揃った食事の意味をよく考えます。
同時に、「食事」は強制と権威の場でもあります。
僕は思春期の頃親と一緒に食事をしたくありませんでした。
18年前にいた鉄工所では、毎年誕生日に社長と昼食を取る会社でしたが、苦痛な業務でした。
会社を経営した後では、社員と食事をすることも多かったのですが、やはり気を使いました。
それでも、社員の側からはどう見られていたかなあと思います。

部下といっぱい引っ掛けて帰ろうと声かけたら「残業代は出ますか」と聞かれたと嘆いているエピソードを聞いたことがあります(笑)

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ここまで、ベッカーさんというのは「糖尿病最初の一年」を書いた方である。





今日はいい天気である。

帯状疱疹がも少し広がったみたいである。しかし、痛むものである。

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