ついに80kgである、30年ぶりにスリムジーンズを買えた。体重の推移、ヒトはなぜ太るのか?

ケトン体燃焼体質になって、もう随分経つ。

カロリー制限型のダイエットは随分したが、糖質制限型のダイエットは全く異なった次元に突入する。
とにかく落ち方が違う。

例えば、酒を呑むと僕は2kgくらい太る。その後で直ぐに元に戻るのである。
無論トイレに入っているので、それなりに落ちてはいるのだが、数時間単位で体重がおちえうのである。
これは驚きである。

2016/3/5 6:40 81kg 21.9 酒飲む日
2016/3/6 10:40 82.65kg 21.9 酒のんだ翌日。おおよそ300mlカナディアンスコッチとツマミ
2016/3/7 6:00 81.9kg 23 高かったの出て1食だった
2016/3/7 12:30 80.4kg 22 随分落ちたが、3食食べている。
サプリメント始めた。
2016/3/8 6:30 82.1kg 22 この後一食であった。
血糖値が高い
->インシュリンが出ていない
->脂肪が代謝されている
2016/3/9 6:30 80.3kg 22 今測ったら驚きの数字である
2016/3/9 9:30 80.1kg 22.1 3時間

何よりも面白いのは、空腹を感じないのである。




人の食欲を監理しているのは、ブドウ糖ではない。血液中の脂肪酸が食欲をコントロールしている。
炭水化物が消化されて、ブドウ糖となり、門脈を通り肝臓に向かう。そこのセンサーが膵臓に刺激を送りインシュリンが分泌される。肝臓でブドウ糖脂肪酸になり血液中に放出される。

インシュリンは、脂肪細胞に脂肪酸の取り込みを命じる。結果、血液中の脂肪酸は低くなる。血液中の脂肪酸は満腹中枢に満腹感を与える。しかし、インシュリンが分泌されている間はどんどん空腹を感じる。

ブドウ糖が入ってこないとインシュリンは放出されない。その為に血液中の脂肪酸(ケトン体)を細胞はエネルギー源とする。

血液中の脂肪酸がエネルギーとして使われるために体脂肪は減っていく。
ブドウ糖を食事由来でとっていると、まずブドウ糖が使われるために脂肪酸は保存される。



多くの人は、血糖値がさがった時に空腹を感じると誤解している。

血糖値は、あらゆる生命活動の基礎なので、一定の値になろうとする(ならなければいけない)。

満腹を感じるのは血液中の遊離している脂肪酸(ケトン体)の量である。
ここには、炭水化物をできるだけ大量に取り込んで脂肪として溜め込もうとする実に巧妙な生命の仕組みが見える。




これだけ体重が落ちるとよく『再丈夫なの』とか言われるが、必須栄養素を十分取れる食事と全く矛盾していない。要するに、炭水化物は『空腹を呼ぶ』ということがわかれば良いのである。

そして炭水化物は脂肪酸を作るので満腹感も生む。同時に脂肪細胞に脂肪酸の取り込みも命じるので空腹を生じさせる。まさにマッチポンプである


このページが詳しい。

ヒトはなぜ太るのか?

ヒトはなぜ太るのか?



鳥は血糖値が300ぐらいだという。
そして脂肪を持たない。体重が多くなると、飛べなくなるから当然である。
そして、常に餌を求め、代謝を落とすために夜は早く寝る。
そして寿命が来ると、コトリと死ぬ。少し羨ましい。

GIジェーンという映画の中で、最後に出てくる詩をいつも思い出す。
D.H.LAWRENCE(David Herbert Lawrence デイヴィッド・ハーバート・ロレンス)の「Self-Pity(自己憐憫)」
SELF-PITY
I never saw a wild thing
sorry for itself.
A small bird will drop frozen dead from a bough
without ever having felt sorry for itself.

自己憐憫
私は、自分自身を哀れむ野生の生き物を見たことはない
小鳥は凍え死に枝から落ちても
決して自分自身を哀れとは思わない





昨年末が92kg~86kgでほぼ推移していた。
最近酒を止めたら一気に減った、何よりも、脂肪が落ちていったのである。細かいプロセスは又別に機会に書くが、とにかく痩せたのである。少しアルコールの代謝に関しても研究しなければならない。

『何を浮かれているのだ』と子供には言われたが、30年ぶりのスリムジーンズである。
 
 
 




昨年の4月である。

体型の推移はこちら


子どもたちには「梅干」と言われる。お腹まわりの脂肪が無くなってきたために肉割れが出てきている。

最初に120kgから95kgに落とした時に肉割れが出来たのである。
30歳の頃である。この頃の痕跡が今でも残っている。






人生歳代に太っていた頃のことである。
糖尿病まっしぐらの頃である。


仕事が楽しくてたまらなかった、朝7時前に会社に行って、夜は11時過ぎまで会社にいた。
パソコンはIBMの550が1台100万円くらいしたような気がする。
毎日マルチプランとマルチワードをいじり倒していた。
全部のヘルプのページを印刷してノートに貼って全てのコマンを一つ一つ学んでいった。
学ぶことでしかここから飛び立つ方法は見つけられなかった。
朝は立ち食い蕎麦で昼間近くの蕎麦屋でカレーそばで夜は牛村、夜食はビールにラーメンだった。
この後、ソフト会社に転職する。








30年ぶりというほどではないようである。

この日はバイクで遠出して、三鷹の辺りの公園の桜が綺麗だった。
よく覚えている。
この頃、既に転職したソフト会社をやめて独立していた頃である。
既に、糖尿病であることを知り、25kgのカロリー減ダイエットをした後のことである。
エストが細くなり、ベルトを切っていくのが楽しかったのであった。


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