家族の食事を作ること(4)何を作るかという指針 仮説と検証の繰り返しこそが人生
日々の糧を得るための仕事以上に大きな物のために生きることを忘れてはならない。
それを「目的」と呼ぶ人もいるだろう。
それを失った時、見つけられない時、『病』と呼ばれる。
料理作りは人生と同じである。
大事なことは、「料理」の目的である。
目的を失った時、それは「サービス」と呼ばれる。
その「サービス」と呼ばれるものの価値は市場で他の「サービス」と競合する事になる。
目的を失った時、「アウトソーシング(外食、弁当買い)」することになる。
これは、教育も医療も同じである。
何のために時間を費やすのかと言う目的が見えなくなる時に、何でも金で解決するという風になるのである。
お代わりの効かない存在がこの世にはある。
『教育と医療と食事は、市場経済になじまない。』
僕の人生の目的は目的は、「死ぬ瞬間まで元気」である。そして、「世代を超えた「生」の継続」である。
僕は、そのために毎日父母、子供、妻、自分に食事を作る。
何かと作っては知り合いに食べてもらう。
喜びである。
では、その目的を達成するためには何が必要だろうか?
仮説とそれに基づく指針である。
指針に基いて食事作りは継続される。
生活が目的に向かっていけば、その仮説と指針は正しい道筋である。
自分の体が答えを出してくれる『糖尿病』に僕は感謝している。
父母が毎日元気になっていくことが僕にとっては喜びである。
そして、どんなそしてどんな食事が父母の必要かということは、未来の僕にも必要である。
そして、それを作るメソッドやノウハウは子供たちに受けつがれ、ぼくに帰ってきてもらいたい。
自分が84歳になった時のことを考える強さが必要である。
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