水泳、読書、雑感、夜半の母、食事

今日(すでに昨日だが)は1km泳いできた。
金曜の午後、暖かくなりかけた太陽が気持ちよく、水が綺麗だった。
24分というのは、早いか遅いかわからないが、気持ちの良さは格別である。

市営プールは50mなので10往復というところが分かりやすい。




さっき、実家から声が聞こえるというので行ってみたら、母が起きていた。
ノートに細かい字でなにか書いている。

僕のブログと同じようなものだ。
誰に向けているわけでもなく、なにか書いている。
作家先生だねえというと、菓子の包んであった厚紙の売れに書いたものを嬉しそうに僕にくれる。
毎日、新聞を見てその日付をノートの一番上に書いてから書き出す。
立派なものだ。
5月くらい(安定剤の中毒状態の頃)に書いていた文字は何がなんだか分からなかったのだが、最近の文字はしっかりとしている。

人は変わる、年々衰えていくし、その衰えは恐怖でもあろう。
子どもとの関係も変わりながら新しい関係が作られていく。




夜眠れないと嘆くが、昼間行くとよく寝ている。
童女のような寝顔である。


毎日の食事のこと、今度まとめなければならないと思いながら、なかなかまとめられない。

毎朝、毎晩、食事を作って持っていくのだが、これがまた面白い。
段々、段取りやメニューが出来ていくのだ。
食事は習慣であり、毎回、毎日、毎週、毎旬、毎年、繰り返されながら、変わっていく。

父母のために作るメニューとうちの家族のために作るメニューが段々重なってきているのが面白い。



実家でいっぱいやっている時の写真である。
僕が持っていくビールを父は一口だけ嬉しそうに飲む。





2015年の正月である。


この後、足を痛めて立てなくなっる。
毎日僕と妻が食事を毎日作って持って行くことになる。

5月にはショックなことがあり、安定剤の飲み過ぎで死の一歩手前まで行く。
今ではすっかり薬とも縁が切れて、もう一ヶ月医者に行っていない。


いつかは別れなければならないのだろうが、その瞬間まで元気でいようとよく話す。
昔、母は「ころり観音」様にお参りに行ったと聞いている。

会津に有るのだなあ。

僕は行ったことがないが、行ってみたい。


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