幸運な病のレシピ( 700 )夜:汁、イワシ、レバニラ炒め

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』はこちら『幸運な病のレシピ』はこちら
人生痩たり太ったりSeason2、Season1はこちら



【 2018/10/24の食事 】


レバニラ炒めは大好きなのだが、長く上手に作れなかった。
今は、この作り方で満足している。

一週間に一回くらいは食べているだろうか?

「我慢しない食事」でありながら、食卓から「炭水化物」を追い出すことは難しい。


レバーモツといった内臓、1匹丸ごとの魚、これらの食材は「一物全体食」の教えにあっている。しかし、美味しく調理するのが難しい。それには理由がある。




サンマよりイワシが好きだ。
苦いところも美味しいが、妻子供には不評である。
新鮮なイワシ丸干しするのもまたいい。

今朝、「ワタ」を抜く時に白子らしきものを取り出してパテに入れた。
朝の煮しめにはこのイワシたちの白子が入っている。



朝の煮しめである。
汁の多い和風ハンバーグのようである。
鶏肉とイワシ1匹入っているパテで作った




手間ではあるが、大根おろしは美味しい。
おろしがねは、気に入ったものを見つけるたびに買っているので結構な数になっている。





僕の食事。
骨格は父の食事と同じ、多めに食べる。
炭水化物は食べない。
酒飲んで酔っ払うとラーメン食ったりパン焼いたりする。
血糖値はドカン後上がる。さすが血糖値エリートである。



夜は汁がメインである。毎日作る。「満足・満腹コスト」も安い。
しゃぶしゃぶ肉を火を止める直前に入れるのである。

具を食べて、スープが残った時は、明朝に豆腐散らして味噌汁の代わりにすることも多い。











父は楽しげに酒を飲む。
毎日美味しいものを作ってくれてありがとうと言ってくれる。
「十分、おとうさんの年金が入ってきていますよ」と父には話す。
それでもこんなに作ってもらえるのはありがたいと言われる。


「自分も食べるものを一緒に作っているんだからいいんだよ。」と答える。
父は「いただきます」で食事を始めて、「ごちそうさま」で食事を終わる。
口に合わないものは黙って残す。
僕はそれを見て、次の食事には味を加減する。
イワシを丸ごと出したら、小骨が歯に挟まって大変そうだった。次は骨を外して出さないといけない(焼きたてがあんまり美味しそうだったので丸ごと出してしまった)

そういえば、母は歯が二本しか残っていなかった上に顎が痩せて入れ歯が合わなくなっていた。
食べれるものを探し作るのに苦労したなあ。
あの頃、汁は食事のメインにはなっていなかった。
食べさせてあげたかった。

口に合ったものを見つけると本当に嬉しそうに食べたっけ。
もっと一緒に食事すればよかった。




「家族に合った食事・必要な食事」を作るということは難しい。
家族といっても他人である。
遺伝情報は共通の部分が多いといっても身体の状態は全く違う。

どんな食事が「ピンピンコロリの人生」に結びつくのか皆目見当がつかない。

僕が自分で食事を作り始めた時に頼りにしたのは「食事哲学者」と「母の後姿」だった。

父の姿を見ていると、この道は間違えていないと感じる。






かつて「家族というシェルター」は食事を強制していた。
残すことは御法度であった。母の作るものに文句を言うことは許されていなかった。
とは言っても僕はいつも文句言っていた。そして母は一生懸命子供二美味しいものを食べさせようとしていた。


しかし、越えれない一線を持っていた。宗教的な信念とでも言えるものであった。
「食事の信念」は何に起因するのだろうか。
それは「『年寄』が元気に生きる食事」は「未来の自分を元気にしてくれる食事」なのだという信念である。





重要なことは「美味しさ」である。
「美味しさ」は誰にでも効果のある「エビデンス」ではない。
そして自分に何が必要なのか教えてくれる。



いつから「身体にいい・健康的な食事」などというものを求めるようになったのだろうか?



商品化された食事の競争で使われる言葉である。


しかし、悪いのは、TVや雑誌やwebの健康情報番組ではない。
メディアの「警句や妄言」が悪いのではない。
そこには、強制していた「家族」を失ったという現実が写っているだけである。






親が作った物を食べることは「当たり前」だった。
他に選択肢はなかった。
しかし、食事は商品化され、いつでも自分の好きなものを買うことができるようになった。
同時に「厨房仕事」のトレーニングとしての「家(=家業を持ち3世代が同居する)」も大喜びで焼き払われた。

形こそ「食事を家で作っている」ように見えるが、主食(炊飯器で飯を炊いて)、ちょこっとおかずを作る程度である。
炭水化物は満腹コストが安いので必要な「食事」を手に入れる前に食事が終わるのである。



詳しくはこちらから。







何万年もの間(?)脈々と続いた仕組みが大きく変わったのである。


焼け跡に何を見るのか、父と暮らし、母を思い、自分の身体の衰えに直面する。
毎日の食事を作ることから見えてくる。



焼け落ちる前の「家」の姿を知らねばわからない。
この焼け落ちた後から何が作られるのか?
しかし元には戻れないのだ。

次の本の主題である。






1187010