「今日の食事が死に方を決める 明日の食事が生き方を決める。」(2) レシピ本・ダイエット本ってどうしてあんなに嘘が多いのだろうか? どうして連中は自分でしてもいないことを偉そうに書くのかねえ。

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ダイエット本やレシピ本を買う人間は、何かの問題を自覚している。

書いている人は、自分は克服したとか、知識があるからとかという理由で、自慢たらたらの内容である。

僕は長い間、沢山のレシピ本を読んできた。
気がついたことが1つある(昔のレストランレシピ系のものではなく、健康情報系のレシピ本に関してであるのだが)。

実際にその食事を(毎日の生活で)実践している人は少ないだろうなと言うことである。

多くの場合は、白衣の専門家が監修をするが、あくまで政治的に正しい栄養学をなぞっているだけである。
書かれている内容は、編集者が思いつきで案を出して、コーディネータがきれいそうに作り、カメラマンが旨そうに撮っているのである。

そして、『どうせデブな連中にはこんなもんでも食っていればいいだろう』感がアリアリである。








食事を記憶する装置としての家族。

僕は毎日の食事作りを動画にとってアップしている。
父の食事も記録している。
僕なりのポリシーを持って、食事を組み立てている。

人の身体はすべて違うので、僕と同じ食事が続かない人も多いだろう、旨いと感じない人も多いだろう。
これは当たり前なのである。
自分細胞のDNAゲノムはみな違い、身体に棲むマイクロバイオーム(私を操る神々)はみな違う。
つまり2人として同じ存在はないのである。

家族は、遺伝子ゲノムが近く、マイクロバイオームのパターンも似ているだろう。
そして、受け継がれた「食事作りの長い記憶」が家族を守り維持していくのである。






生き方を強制する装置としての家族。
マイクロバイオームは身体のことを知らない。
酒を飲みすぎて、炭水化物を取りすぎて、覚醒剤をうちすぎて、無分別にセックスをして、身体が破滅しても何ら困らないのでである。
嗜好品の与えてくれる快感(逃れるすべはない)は、マイクロバイオームが私達をコントロールしていることの証左である。

家族というシェルタは、厳しく、「貧欲」を戒める。
生き方を強制する。

そして、家族のバインドから逃れることが出来る時、自分自身のルールを探すたびに出かけるのである。
来年は、息子が遠くに行く。
僕は40年前に旅立った。そしていまここにいる。





誰にでも効く処方もレシピも存在などしない。
しかし、全国の120万人の栄養士は、これが健康になる食事だと毎日食事を作り続けている。
「専門家」という白衣を着た妄言家はお粗末な栄養指導を繰り返す。


「医師や栄養士」の生活習慣病罹患率が知りたいものだ。
不思議なことに、白衣の連中は余りデブではない(笑)。
だから自分は大丈夫だと思うのだろう。


そして、そういう連中も年取れば、身体の組織が衰え、災厄に見舞われる。
自分たちが正しいと信じ込んでいたルールに従い殺されるのである。

僕は「あなた方」に殺されるのは、まっぴらごめんだ。




僕は僕の死に方を見つける。



次の本の主題である。

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リュウ・ウェイさんは素敵だ。
自分という現実に向き合い何かを見つけようとしている。
彼女のレシピがそのまますべての人に効果があるとは思えないが、現実に向き合い生きている姿は勇気つけてくれる。
世の中そんなに捨てたもんじゃない。