縄文時代の話

ちょっと縄文時代の事を思い出そうと「日本の歴史 01 縄文の生活史」講談社 を読み直して見た。



僕の中学高校の頃の歴史では
縄文時代に、日本には縄文人が住んでいたが、弥生人が大陸から攻めて来て、縄文人を追い払い、日本には弥生人が住む事になった」
というイメージだった様な気がする。


そして日本には「一つの人種」だけが住んでいる。
それは天皇に繋がる道筋である。
単一民族国家」と言う幻想につながるのである。



最近の考古学ではこのような考え方は否定されている。

縄文人が、弥生型の生産方法を学び、食事の環境が良くなって、体格が大きくなった。
縄文人」と「弥生人」と言うあたかも「日本人」と「アメリカ人」と言う様な対立的な人種がいた訳ではない。
(人種=交配は可能だが、互いに違っていると認識している集団)

例えば、昭和の初期の日本人の骨格と平成の日本人の骨格は大きく違っている。
昭和人を平成人が駆逐したのだろうか?

それならば、東北地方では昭和人の骨格が大量に見つからなければ成らないだろう?

むろん、弥生の生産性の高い文化は「縄文人を支配した弥生人」という場面が無かった訳ではなかろう。
しかし、考えてもらいたい。そんなに沢山の支配社階級が日本に来る事は出来なかっただろう。

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中国に日本が侵略した時に多くの「開拓団」送り込まれた。
先の大戦で負けた時にアメリカが日本を占領した。
そのイメージが結構有る。


しかし、この時代(縄文->弥生)にそんな事は無かった。
もしかしたら、何らかの作為が有ったのかもしれない。


「江戸->明治」の進歩史観(進化と言う言葉は使いたくない)が歴史を歪めてみていたとしてもおかしくはない。

縄文=遅れている
弥生=進んでいる

この見方は、人間の集団を分析する「あらゆる所」に見る事ができる。

「歴史は解釈の問題で、解釈は現在の社会を映している。」

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生産性の高い農業の方法(文化)を学んで自分たちの生活を変えて行った。
おかしな話ではない。

無論、縄文時代が平和で安穏な時代だったとは思わない。

生活圏から得られる食料は限られて、飢餓に襲われれば、年寄りを捨て、子どもを食った。
戦う力があり、近縁に襲うことのできる集落が有れば収奪した。

縄文=は生産性が低く、或る広さの土地で維持出来る人間の数は少なかった
弥生=は生産性が高かった。

無論土地によっては、いくら技術が高まっても生産が高くなる事はない所も有ったろう。
山間部や海の傍である。

1万年続いた焼き畑ー>陸稲型が、数百年の間に畦作りー>水稲型へと文化の変容が行われた時代だと思う。

そして、宗教を軸にした権力が発生して王権が確立する。
卑弥呼などの時代に続く。

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アジアの一番外側に出来た列島が「日本」と呼ばれるのは7世紀まで待たねばならない。
この土地に住み出した人々は自分たちの住んでいる土地の地図も持たないしgoogle mapもまだ無い。

地図は強大な権力が無ければ作る事は出来ない。
また、強大な権力しか必要としない。


大陸の方から移住して来た人々の物語はどんな物だったろうか?


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人間性は今と何も変わっていない。

こう言う考え方を「構造主義」という。


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丁度「日本の歴史」の刊行が始まった頃、「旧石器捏造事件」が起こった。

このページでは、『旧石器捏造事件とは、藤村が考古学者をだました事件ではなく、考古学者が藤村を利用して国民をだました事件である。』と断じている。

僕もそのとおりだと思う。

学者などと言う物は碌なもんじゃないよなあ。
学者と言う物は文部省が分配する税金に群がる人種なのだ。

水俣病裁判で国側に付き、証言した馬鹿学者。
宇宙に行って何の役にも立たない塵拾って来た英雄。
何処にも売れないスーパーコンピュータを作っている人々。

原発は安全だと言う学者。

いくらでも上げることができる。





高木仁三郎先生の様な本当の市民の側に立った科学者は凄いなあ。


講談社の「日本の歴史」は凄くいい本である。
網野善彦さんの本を今年は読み直そうかなあ。




150414