幸運な病のレシピ( 1910 )昼:血糖値の上がらない白湯麺
【 2020/2/5の食事 】
一杯野菜炒めて、手羽先を炒め、スープにする。鶏ガラスープの元とラード練調味料で味をつける。手羽先には包丁で切れ目を入れておくと食べやすい。麺は先日買った生ラーメンの麺位1人前。これを妻と食べる。食い終わる頃には満腹で動けない。こういう食事は自分で作るほかない。お店のラーメンの野菜は飾りのように感じる。
野菜の中には細胞が無数に含まれる。細胞は「水」を持ってきてくれる水筒だ。その中には医学が分析していない生化学部室がある。それこそが生命だ。美味しいのは理由がある。
「商品化された食事」「政治的に正しい皿の上の栄養学」が『ガンや、認知症、心疾患に循環器、壊疽に肺炎、透析に眼底網膜症、骨阻喪症にリュウマチ痛風膠原病に難病指定、薬で下がる検査値の異常(糖尿痛颶風高血圧に高脂血症)』を生んでいる。
「病(と医者が呼んでいる災厄)」は食事の反映でしかない。
炭水化物は毒ではない、誰もが抗えないほどに魅力的すぎる。食卓は、炭水化物が中心になり、緩慢で直接的な因果関係の見えない欠乏症を生む。
食事作りは面倒だ、私達が作れなくなったのには理由がある。そして僕は毎日素材から食事を作る。
今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』は[http://d.hatena.ne.jp/masay