幸運な病のレシピ( 1298 )朝:「後片付けを科学する」最終的な目的は「毎日料理をつくること」だ。そして、厨房は継続的に片付けを必要とする。
【 2019/6/3の食事 】
最終的な目的は「毎日料理をつくること」だ。
きれいにすることではない。
そして、厨房は継続的に片付けを必要とする。
無論、時間があるなら良いのだが、きれいにすることばかりに気を取られると、せっかくの食事が美味しくなくなる。
皿洗いは「罰ゲーム」ではない。
いずれ一人で生きる時に、食事を作り続けられるかが問題だ。おにぎりに缶チューハイの老人になるのは僕の人生のゴールではない。
自分の人生の最後の練習のために僕の厨房仕事はある。
いつも文句の多い母だった。
何とか喜んでもらおうと毎日作っていった。
そして、僕の料理は、だんだんと文句を言われない味になった。
料理は作る人と、食べる人が一緒になって作るものだ。
共につつがなく人生を送り、「自分である事」を守りながら最後まで生きることの出来る「食事」を見つけることが出来るのだろうか?
母は、あれほどたくさん飲んでいたクエスリも亡くなる3ヶ月くらい前から止めることができた。
そして、眠るように、茶の間で亡くなった。
認知症と医者や役人は判断したが、最後まで僕と家族を忘れず、庭の樹木や池の鯉の思い出を話してくれた。
羨ましい人生の終わりだ。
僕が毎日食事を持っていくと、母は「お前がいないと生きていられない」といつも言った。
妻は口調を真似て僕を泣かせようとする。
僕は「認知症」という病名は身体の状態だとは思っていない。
その人と生きる環境の齟齬が生んでいる問題なのだ。
度合いの差はあれ、物忘れなど誰でもする。
問題は、その人を「家族」としてフォローするか、「病人」とよんで医者に任せて薬付けにするかである。
ひどい散らかり様である。昨日の夜一回の荒れ方だ(笑)。
からあげと、僕の晩酌が大きな要因だ。
後片付けの重要なところは、「調理後」と「食事後」の区別をしっかり持つことだ。
最終的な目的は「毎日料理をつくること」だ。そして、厨房は継続的に片付けを必要とする。
父が来たのでとりあえず朝食を作った。
目玉焼きを作り、あとは昨日の残りだ。