幸運な病のレシピ( 1171 )朝:「後片付けを科学する」食洗機詰め方チャンピオン

【 2019/4/17の食事 】

食洗機の使い方に関しては、哲学が必要だ。食洗機と上手く付き合うのには時間がかかる。

しかし、使い方を知ればこれほど強い味方もいない。
何よりも詰めすぎないことである。優秀な秘書でしかないから、能力以上を求めないことだ。



幸運な病のレシピ( 1171 )朝:「後片付けを科学する」食洗機詰め方チャンピオン

食洗機には思い出が詰まっている。

最初に買ったのは東京時代27歳の頃、新潟に帰って結婚してから使い続けた。その後で父母に買ってあげて、今はキッチンにビルトインのものを使っている

鉄工所が倒産して、ソフト会社を始めた頃だ、子供が生まれて、父母の実家から少し距離のあるアパートに住み始めた。

父母は要らぬことを言って妻と決定的な仲違いになっていた。

あれだけ僕が言わないでくれと言ったのに、妻に直接「仕事を辞めるなとか、苦しいから子供は作るな等」という義父母の一番言ってはならないことを言ったのである。

そうしたためか、妻は母の家で食事を拒否するようになった。表面的には「皿が汚れている」という理由である。
僕も、バカ正直に何とか、綺麗にできないかと、食洗機を備え付けたのだが、結局は使うことはなかった。

嫁姑の確執は昔からあるし当たり前のことだとシタリガオで論じる輩がいる。
しかし、これだけ多くの人が苦しんでいるのだ。苦しみから学んだことを僕は言葉にしたい。
環境に対しての反応のプロトコルを洞察したい。


時代は変わり、人の関係生も変わる、この「苦しさは」その変化に対しての当たり前の反応なのだ。

母の家においた食洗機
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食事は、単純に料理を食べるだけではない。関係性を確認する、「家」の経営会議だ。だから難しい。

 
食事のたびに「ホウレンソウ(報告連絡相談)」を強制されてはたまらない。
息子は18歳の頃僕とは食事を一緒にしなくなっていた。
僕の弁当も残した。多分、本当にたべれなかったのだろう。そして妻が作るようになっていった。毎食ごとに模試の成績を聞かれても仕方がない。
 
夫婦で喧嘩すると夫は妻の作ったものをわざと食べなかったりする(描写を小説や映画で見る)。僕が作るのでよく分かる。
昨今のお店で買った弁当を食べる時は「いただきます・ごちそうさま」と言葉をかけないで食事する。金で買ったのだから文句をいうことはあっっても感謝する筋合いはない。
 
「家庭=自営業・家族=社員・親子=徒弟」だった時代のメンタリティなのではないかと考え始めたのはこの頃のことだ。
  
『拒食・過食・依存症』医者は単純な脳への刺激としか考えられない。
現実の関係生の中で、苦痛を表現しているのだ。
クラスで、弁当を食べれない子供は自殺予備軍である。トイレで食べる子供を見て何を訴えているか感じることの出来る感性を持ったほうが良い。
 
関係は食事に現れる。人は心で食べる。次の本の主題である。
 
そして、実家の隣に家を建て父母とも(ウチで)食事をするようになっていった。
それでも、実家で食事をすることはなかった。



初代食洗機
masaya50.hatenadiary.jp

やがて時が経ち、妻の実母も実父も亡くなり、様々な時が過ぎた。

何度も離婚の話し合いをした。原因の半分は父母のこと。
15%は子供の教育に関して、残りは僕の仕事の不安定さと妻の貯金の多さ(笑)。
離婚は金がかかるので出来なかった(笑)。

そして母がなくなり、今では、爺ちゃん爺ちゃんと父を呼んで、爪切りや掃除洗濯を母の代りにする。



僕は、いくつまで食事を作り続けられるだろうか。
母は80歳の頃には既に天ぷらを揚げれなくなていた。
笹団子はもっと前に作れなくなった。
この動画シリーズを20年続ければ僕もその年だ。生きていればだが。
 
恋も人生も後片付けが大変だ。毎日の食事で慣れておいたほうが良い。





今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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