幸運な病のレシピ( 1074 )夜 :手羽先揚げ、生ニシン、汁仕立直し

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2019/3/10の食事 】

手羽先は結構めんどくさい。ネットでも骨の抜き方とか見かけるが手数がかかる。色々と下ごしらえを工夫したが、今のやり方が一番良く使っている。
煮込むこともあるが、2日目以降は食べづらい上に仕立て直しも難しい。悪魔風も好きなのだが今日はにんにくがなかったのでやめた。
多かったかなと持ったが唐揚げは皆亡くなった。

生ニシンは白子や卵があると焼きが難しいのだが、ないと気楽に焼ける。
油が多く、身がバラけやすいから干してある物を買うことが多いのだが、生も美味い。
明日残ったニシンは醤油でテリ入れて食べる。
油が多い魚なので美味しい。

朝のイワシとカツをテリ入れた。いつも仕立て直しはすることが多い。



家族は妻の姉の家に遊びに行ったので、父に食事を作り実家の仏間で一緒に食べた。



幸運な病のレシピ( 1074 )夜 :手羽先揚げ、生ニシン、汁仕立直し





「商品化された食事」が「生活習慣病と同時に進む災厄」を生んでいる。「自分自身に必要な食事」は自分で作る他ない。食事作りを毎日続けているといかにコストの掛かるものかよく分かる。
健康レシピや、医者や栄養士が太鼓版を押す「政治的に正しい栄養学」は皿の上の分析ばかりだ。そして食べ物は「買う」ことを前提としている。本売ったり、サプリメントやレストランや大量生産の弁当の監修して小銭稼いでいるのだからタチが悪い。そして、そんな社会の構造が「災厄」を当たり前の日常にしている。
「後片付けと仕立直し」が毎日必要になることがすっぽり抜けている。母や父の時代には当たり前だった「食事作り」や「もったいない」という考え方を見失ってしまったのだ。「もったいない」は「経済的な評価」ではない。お店で売っている金額に換算すれば数十円である。しかし、食事を作っているとそんな金額では作れないことがわかる。そして生命がこの食卓まで来てくれたことを感謝する気持ちになる。500円で同じものが買えるならばそのものにはその金額の価値しかない。
しかし、毎日食事を作り違ったものが食卓に現れると考えれば粗末にはできない。 
「好き嫌い」と「もったいない」は(僕たちが失った)対になった大事な言葉だ。「商品化された食事=誰もが大好きな炭水化物に満ちた食事」は自分に必要な食事を食卓から押し出してしまう。

かつて、家族は一人一人の体と心を感じながら、その人にあった食事を作った。
だからこそ、「残さず食べなさい」と言った。
医師や栄養士は「健康診断の検査値」しか知らない。そして「これ食えあれ食え、給食は残すな」と私達を「侵襲」する。
https://masaya50.hatenadiary.jp/entry/20181213/1544722919
 
食事作りには価値がある。僕が見つけた価値を伝えたい。