「今日の食事が死に方を決める 明日の食事が生き方を決める。」(6)「食事」と言う商品は何を私達にもたらしたのか?

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商品というのは、売れなければ廃棄される。
特に食べ物は腐敗するので(返品なしの場合)卸値は30~40%である(以前務めていた会社で食品を扱っていた)。
なので、スーパーでは時間が経ったお惣菜は半額になるのである(僕は割引率で仕入原価を想像する)


500円の商品は、150円〜200円で材料費から人件費、運搬費までカバーしなければならないのだ。
まともなものが作れるわけがない。



腐敗しない場合は一気にハードルが下がる。乾燥麺を例に取れば、おそらく60-70%の仕入率だろう(返品有りというのはないだろうなあ)。

冷凍食品は同様に腐らないから、値段のハードルは下がる。
パスタやラーメンときには弁当の冷凍商品が売られているが、美味しいし、値段も安い。

弁当屋さんは、これの一変種である。
すぐに食べることの出来る状態に解凍調理して販売している。
受注発注だし一食あたりの人件費が発生するので少し値段が上がる。



レストランもほぼ同じである。
食べる場所がどこかの差でしかない。


ホテルのような宴会場はほぼ冷凍品の調理である。
これも当たり前であろう。
1日に数百食の料理を素材から作るなどということは安い値段では無理である。




稀に、お店で素材から調理している場合がある。個人営業のお店や地元資本のスーパー、お惣菜屋さんである。
食べたときにちょっとびっくりするようなうまいものがある。僕は好きだ。


商品とそしての「食事」は『炭水化物(多くの人に好まれる)』がメインになるのだ。
そして炭水化物の姿が変わる。「蕎麦、うどん」がメインに入ったり、おかずの種類が揚げ物になったり焼き魚になったりする。購入する人は、様々なバリエーションから選択しているように見えるが、『政治的に正しい栄養学の言う栄養価』としては、ほぼ共通である。

60-20-20のルールである(カーボカウントでは少し減るが.......)。その比率と「食品交換の法則」が問題の核心である。

それは誰にでも効く「最強の食事」ではない、その食事は「生活習慣病」をもたらすのだ。



最多価格帯(今なら一食500円前後であろうか)の商品はそうなっている。
もちろん、値段が高くなれば問題は別である。高い商品は利率が良いが、原価も高い、売れ残ったら目も当てられない。



『誰にでも効く商品としての食事』に入らないものを考えてみると面白い。
塩辛やモツ、ホルモンやシシャモ、魚卵やカマ調理や保存のしにくいものは避けられる。
まさに僕が毎日の食事で潤沢に摂ろうとしているものである。



食事が商品となったのはいつ頃からだろうか?
僕が小さい頃は、お店で「調理済みの食べ物」を買うということは考えられなかった。
冷凍技術と運搬手段の発達が可能にしたのだ。




そして、「技術革新」をビジネスチャンスとして大きくなった企業が多くあるのだ。
外注化したのは私達であるが、そうしなければならなかった理由がある。
その理由を直視して、乗り越える方法を考えなければならない。



家庭で食事を作っていてもいつも感じる。
息子はラーメンやパスタ、ご飯を好む。
僕はビールを好むが血糖値が上がるので炭水化物は避ける。しかし、渇望する。

嗜好品を制限してくれる「家庭と言うコミュニティ」はすでに機能していない。
全ての存在が金で片がつき、神が死んだ(古い!)この時代は「貪欲を戒める宗教」は私達を拘束しない。


問題の本質は、ここにある。



どうやら僕は「教祖様」になって、宗教始めなければならないようである。



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