「忖度」と「パワハラ・セクハラ・いじめ」の国(9)  なぜ、水害のさなかに宴会の写真をSNSしたのか、公的でない友人であることの利益

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個人的なつながりがあることが、権力である社会だから、公的でない場面での親密さをアピールする。

それによって、自分が権威の一部であることを強調することで、自分にも権力が宿る(笑)。
自分がどんなにいい医者に見てもらっているかという自慢といっしょである。病気自慢の医者自慢と言う現象である。「俺ってうつ病で自殺するところだったんだけど××病院(日本でトップ5に入るんだぜ)で診断受けてさあ、珍しい症例だそうなんだ、抗うつ剤の処方も確からしいんだ」いいことである。自殺しないですんだんだからな。現実は変わらんがな。




ある意味営業である。

僕も、どんな仕事をしているかをブログに書く。
これは、自分の能力のアピールである。
つまり営業なのだ。

だから、良く分かる。
こんな写真をばら撒いてと思うかもしれないが、あの連中はいつもこれをしている。
『俺は地元に金を持ってこれるぞ』とアピールしているのだ。

そして、権力者も「俺の奴隷になるといいことがあるよ」とアピールするためにSNSさせるのだ。
当然、許可を受けてSNSしているのだから、その意図は明白である。





運悪く大雨だったからなあ。




しかし、「忖度」と言う問題は、その人物に「現実を変える」能力がないのに、「ただ権力者と仲良しだ」と言うアピールで金を持ってこれることが問題なのである。

『社会全体に対してフィードバックすることのないコミュニティ』に税金を持ってこれるかが「営業力・技術力」であることが問題なのだ。
スパコン補助金の詐欺、学校のブランディング補助金などもこれに類する。



本当に、素晴らしいものを作れる、現実をより良くすることが出来るならば、その人物は素晴らしい。
しかし、権力者に媚びへつらい営業する連中は「税金」を引っ張ってこれるが、現実は変えられない。
ただ、手下に金をばらまくホースでしかない。
そして、一回「税金をばらまく水路」が出来上がると、その水路の維持にさえ役人が必要になり、終わらせることはない。
役人にとっては、「周辺組織」は天下りの為の重要なポストだ。


どんどん税金は使われる。税金が足りなくなるのは当たり前だ。







やがて本当のクリエイティブな世界を変えるようなイノベーションは育つことはない。


起業家が育たない風土である。




とは言っても、ガラパゴスの中では、そいつらがチャンピオンだ。
もっと大きな枠組と勝負しようとした時に、いいようにされる。




日本の企業が軒並み駄目(海外に工場を建て、海外の投資家に経株を買って頂き、外人社長をお願いする)になっていった。
ガラパゴスのおいしさに世界の連中がお召し上がりに来たのである。




まあ、現場で働く労働者には関係ない。
無能な経営者にも関係はない。どうせ金だしている連中の手先でしかない。
最終的に金だしている連中(投資家という今の社会の隠された大王)に利益は吸い取られるのだから、どんな素晴らしいことしても給料は変わらない。

これから日本は、どんどん貧しくなる。
年寄りが死に、経済成長で集めた金は国を経由して、企業が浪費して、海外の投資家が買い漁る。
あと、20-30年というところだろうか。

何よりも、奴隷の国では、生きる気力がなくなっていく。
抗うつ剤で夢見ている以外の選択肢はない。

ガラパゴスは平和である。



先日見直した映画の世界である(笑)。




「勉強会」だと言っている阿呆(あそう)を馬鹿だと思ってはいけない。
あの男はまさに本質を語る阿呆(あそう)だ。
コバンザメのように権力者にへばりつくことがあの連中の「勉強」なのだからな。
セクハラ罪はないとか、総裁選にでたら冷遇するぞとか、いいことを言う。
しかし、地元に金持ってくるから議席は安泰である。
田中角栄が始めたことではないが、阿呆(あそう)で終わるものでもない。

その言葉に不愉快になるのは、本質をついているからである。
本人が気がついていないのが面白い。
あの帽子も面白い。





11万人避難指示の夜に「赤坂自民亭」適切だったか検証
アサヒコム 2018年7月13日20時39分

麻生氏「宴会でなく勉強会、なぜやめるのか」 自粛批判
アサヒコム 2018年7月13日19時23分




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