純愛とストーカー・セクハラのパラドックス(2)かぐや姫ロスト 剛力彩芽の人生
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このエントリーは「かぐや姫問題」に入ります。
かぐや姫というのは、きれいな娘を「食い物にする大人(無論、親を含む)」に対して、その娘が「おとな」になり復讐する物語である。
まあ、考えてみれば、ほとんどの親子関係で存在する要素である。
フランケンシュタインでも、マイ・フェア・レディでも、繰り返される物語である。
多くのコンテストを勝ち抜き、いいよってくる男たちを競わせて、やがて、かぐや姫は最高権力者(お金持ちさん)から資産を譲り受け、権力を持つことになる。
本家かぐや姫(ジブリ版でも)では落ちぶれるところまでは見せること無く、もっととんでもない大金持ちに奪われてしまう事で、終わる。突然ビル・ゲイツがかっさらっていくパターンであろうか(笑)。
おまけに(ジブリ版では)かっさらわれる前に、純朴なかつての幼馴染をやっちまうんだからとんでもない。スーパーマンの昔から一緒に空を飛ぶというのはセックスをしたというファンタスティックな表現である(笑)。
しかし、「ただ美しいと言う以外に何の後ろ盾もない娘』が、そこまで上り詰めるには並大抵でない苦労があったであろう。
芸能界は辛い職場であっただろう。多くのセクハラ、パワハラに揉まれてきたであろう。
先輩に礼儀正しくとか、なんとかセックスしたいと思う有象無象。
幾人ものきれいな「娘」が事務所トラブルで消えては生まれる。
「鵜飼と鵜の関係」のようなものだからなあ。
やがて、使い捨てられる運命であった「鵜」がオンリーさんになって、今まで辛い思いをしてきた人生にリベンジできる権力を持つのである。
権力者(お金持ちさん)の寵愛を受ければすげえことになる。
マスコミでヤイノヤイノ言われているが、どうなるだろうか?
剛力彩芽に気に入られるように言動するタレントもいるようであるが、やがて、CMに使ってもらえると予定しているのだろうか。バッシングの方は寵愛を失い墜落を望んでいるのだなあ。
この物語の行方が、大変楽しみである。
2012年、6年前である。ああ、いいなあ。遠い夏の日の花火のようだ。
類例にクレオパトラという女性がいる。
まあ、権力を持った連中のオンナというのは厄介である。
なにせ、権力者のジョイスティックを握っているのだからなあ。
なんで、あんなオンナがと思うかも知れないが、マイクロバイオームが深く絡んでいるのである。
しかし、現実のおいては、皆年老いて、やがて輝きを失い誰も見向きもしなくなる。
「循環し、再生する家族」を失った私達は、みな同じように孤独の中に死ぬ。
かぐや姫より小野小町の話のほうが(実相を映し出しているという点で)好きだなあ。
「かぐや姫その後 -40年後-」を想像すると何とも憂鬱になる。もしかしたら瀬戸内寂照さんみたくなっているかしら。
苦痛をくぐり抜けたものにしか見えない風景がある。
全ての現実に向き合おうとする者は苦悩と共に生きる。
「事務所の言いなりになって男と別れない」という決断をした彼女は修羅を見ることになるだろう。
昨今は、こういう女性が増えたのかなあ。
しかし、権力者の言いなりになって文書改ざんする輩とは比較にならん美しさがある。
今の言動を見て、過去のPVなど見ると感無量である。
頑張れ!
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「オンリーさん」とは米軍の占領時代に始まる古い言葉である。
多くの専業主婦(男の場合は「ヒモ」と呼ばれる)に見られるように、「性的な関係を持ち続けるパートナーの稼ぐ金」で人生を生きる生き方である。寄生していると言われることも多いが、それはあまりに一面的(一時的)な言葉である。誰かが稼いでいる時というのは一過性である。給料を稼げ無くなった後でもパートナー関係を続けることが出来るかということが問題なのである。熟年離婚(社会福祉の当然の帰結である)を考えれば分かる。
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