「トトロ」と言う醜悪な地方観、田舎は楽園ではない。

どうもやる気が出なくて庭の草刈りをしながら考えた。

昨晩呼んだネットの記事に違和感があった。
このニューズウイーク日本語版の記事で田舎に移住した都会の家族がトラブルに合うお話である。
戦慄の実話! 悪夢と化した「憧れの田舎暮らし」 こんなにヤバかった「人間関係」




僕はジブリが嫌いだ。(コナンは好きだ
最初に嫌いだと感じたのは、「トトロ」からである。
「トトロ」には実に醜悪な地方観が溢れている。

この記事ははまさにこの醜悪さに満ちている。
なぜ、田舎の人間は純朴で、都会の人間を敬愛して、親切にするべきなのだろうか?
都会の人間は進んでいて、ネットや高級なパン屋さんや美味しいレストランをたくさん知っているから尊敬されるとでも思っているのだろうか(笑)

田舎で生活をしていくということが、夢のように素晴らしかった時代など一度もなかったのである。
もっと言い換えれば、都会でもそうだったのではないかと思う。
三丁目の夕日」と言うコミックを僕は愛している。
都会での生活も貧しくて、日本全体が貧しい時代である。
狭く閉鎖して循環する経済であるとしたならば、その土地で生まれたものを消費する以上の豊かさは不可能であるはずである。

ところが、グローバリズムは世界を一変させる。
収益線(商品が売れて金が入ってくる配管の先)が地域を超えて、遠いところに伸びていく。
その土地の生産物の販売では考えられなかったような金が入ってくる。
これは、『役所・学校・病院・介護施設』といった税金を原資にしている組織にも言える。

僕の会社は、毎年の『国体の集計システムの売上』が収益の大きな部分を占める。
これも、収益線が地域の外であるのだ。
なんとか地元での売上を大きくしたいが、割のいい仕事にはならない。
これはあらたり前である。


地元での販売がメインの『豆腐屋・八百屋・肉屋・電気屋・薬屋』が消えていった理由である。

貧富の差が生まれるのである。
そして他人が貧しいのか豊かなのかはなかなか見えない。


「都会からの移住者」は豊かで、「田舎で生きている人たち」は貧しいのである(笑)。



そんな構図の中で、生活をしたらどんな事が起こるだろうか。
全く隔絶した関係の中で生きることが出来るなら良いだろう。

しかし、子供がいたりすると、「学校という強制収容所」に属さなければならない。

いっしょの行事にでなければならない。
コミュニティに属さなければんらないのである。


「コミュニティに属さなければならない」場合に、「イジメ・パワハラ・セクハラ」と言う現象が起こる。
俺は知らないよ、お前たちとは関係ないよと言えるならば何も怖くはない。
しかし、そうでない場合、コミュニティの中で利益を得るためには誰かを奴隷にしなければならない。






決してこの世界に楽園はない。

どこに居ようとそこで自分次便お道を見つけなればならない。
僕の新潟に帰ってからの仕事を「夏は海で、冬はスキーで羨ましい」と言った馬鹿が居る。

どれだけ苦労して、この土地で生きていると思う。

毎日が戦いである。

人権も平等も公平もそんなものは自分の生活があってこそだ。





トトロ的世界はどこか他所で探したほうがいい。
暗闇の中で、夢に見るにはいいものかもしれないが、僕には必要ない。







田舎に「楽園」を求めてくるということは、都会で負け組みだったんだろうなあ(笑)。
そういうのを『都落ち」という。


いつの夏だったろうか、東京から帰ってきた僕は、未来も見えないままに、庭で母と話をしていた。
片隅に咲く紫の花の名前を聞いたことがある。
「都忘れ」と言う名だと教えてくれた。「お前のことだ」と母は言った。ユーモアのある母であった。
何とも出来すぎた思い出である。


都忘れがあったあたりには、一面に雑草が生えていた。
今日、草刈りをしていて、そんな事を思い出した。

僕は自分自身であることを諦めていない。

戦慄の実話! 悪夢と化した「憧れの田舎暮らし」 こんなにヤバかった「人間関係」
2018年7月12日(木)20時10分

天国だと思っていた憬れの地が......
子どもが産まれたら、人も土地も開放的なところで育てたい──。

東京生まれの東京育ちだった石沢友美さん(仮名)は、子どもを身籠もったと同時に、東京・吉祥寺から山梨県峡北地域のある集落に移住を決めた。3年前、32歳のことだった。

マンション育ちだった友美さん夫婦は、「空き家バンク」で見つけた築60年の古民家に移り住むことになった。友美さん自身が幼少期から憧れていた待望の「田舎暮らし」だった。

「自分が小学生の頃、八ヶ岳の林間学校に来たことがあったんです。その頃から、いつかは白樺を眺めながら鳥の声を聴いて暮してみたいって、ずっと思っていました。子どもができたときに主人に相談したら、やっぱり東京の真ん中、中央区で育った主人も大賛成してくれたんです」

古民家とはいえ、直前まで家人が住んでいたために、手入れは行き届き、生活に不便はまったくなかった。

「夏場になると、カメムシとかカマドウマとか、都会じゃほとんど見たことのない虫がとにかくどこから湧いてくるのか、いっぱい出てくるんです。だけど、それも高気密じゃない古民家ならではのよさと考えて我慢できました」

なによりも、眺望がすばらしかった。

背には標高2900メートルの赤岳を擁する八ヶ岳連峰が一望でき、右手に南アルプスの山並み、左手には富士山が見える場所だ。

日本のワンツースリーの眺望に囲まれ、移住人気ナンバーワンとも言われる場所であることが実感できた。

「子どもが産まれてからまもなくは、授乳に疲れてもその眺望を観れば、すぐに気分転換もできて最高だったんです」
夫は月に何度か新宿の本社に顔を出せばいい。新宿まではわずか150キロほど。中央線の特急でも、高速道路でも楽にアプローチできる距離だった。

「気持ち的には東京の郊外に住んでいるのとまるで変わらない距離で、日本で最高の眺望と開放的な空気が手に入るなんて。こんな天国みたいなところが日本にあったなんて、と思ったんです」

古民家の家賃も、吉祥寺の賃貸マンションに較べれば3分の1。それで、古民家とはいえ戸建てが借りられ、間取りの何倍も広い庭までついているのだ。

有料のゴミ袋を購入したのに......
だが住み始めてほどなく、最初の"事件"に直面する。ゴミが出せないのだ。

移住に当たっては役所の窓口にも何度か足を運び、生活の仕方などをいろいろと聞いたつもりだった。だが、ゴミが出せない、というのはまさかの展開だった。

「高さは人の背丈ほどもあって、幅はそれこそプレハブ小屋並みの長さの立派なゴミ集積所があるのは知っていたんです。市の有料のゴミ袋を買ってそこに出せばいいものと、頭から考えてしまっていて......」

移住して間もなく、ゴミ出しに出向いたとき、目の合った人から「あんた、名前は?」と訊かれ、丁重にあいさつを返した。

するとほどなく、自宅に地元集落の役員だという初老の男性が現れたのだ。

「あれ(ゴミ集積所)は組(集落)のもんだから、組に入っておらんもんはあそこには出せん」

友美さんはこう応じた。

「では、ちゃんと会費をお支払いして組に参加させていただけませんか」

だが、組長(町内会長)と相談してきたという男性が再び自宅を訪れ、こう告げた。

「悪いけんど、組長がうちの組にはよそから来たもんは入れんっちゅうとるから」

「じゃあ、ゴミを出せないの? そんなバカなことって......」

呆然とした友美さんが役所に駆け込むと、それまで移住の相談に乗っていた担当者もそっけなくこう繰り返すだけだった。

「ああ、あそこの組長さんはもう......何を言ってもダメですから......」

〈えっ、なに? じゃあ、うちはあそこに住んでいる限り、もう地元でゴミを出せないってこと?〉

聞けば、役所ではこうしたゴミ出しを拒否された移住者のために、役所の駐車場に特設のゴミ集積所を作っているという。

.......................................

友美さんに笑顔が戻ったのにはワケがある。

集落で数々の恐怖体験をした末に、友美さんはやはり移住者夫婦の紹介で、わずかな距離にある、移住者が多い別荘地域に転住したのだ。そこには大阪や東京から来て子育て、田舎暮らしを満喫する多くの移住者が集まって住んでいる。

ゴミ出しはもちろん大丈夫だし、なにより「もの申す」などと称して人気の少ない神社の境内や公園に呼び出されることもなく、「厄介者」などという時代錯誤の暗い表現などとも無縁の新天地だ。

「ほんとに転住してよかった」と、友美さんはいう。

「古民家にいるときは、今日は洗濯物が干してあったな、今日は少なかったなとか、縁側に干してある洗濯物の内容から量まで、集落の皆が皆、そんなのを全部見てて、見てても黙ってればいいのに、それをまた全部、会うたびに言葉に出すんですよ。車があれば、なんで晴れてるのに家にいる、車がなければ、どこに行ってたって。誰かの親が遊びにくれば、菓子折を持って行くふりして、どんな親か様子を見てこい、ですからね。都会暮らしを経験した人が、そんな習慣のなかで生きるのは大変なストレスだと思いますよ」

そんな実態を、役所の移住担当者はおろか、田舎暮らしの本や、テレビの移住番組なんかでは教えてくれない。

「よかったですよ、集落を出て。だって子どもが大きくなると、組に入ってない家の子どもはお祭りにも参加できないんですから。お祭りは組のものだから。ゴミと一緒ですよ」

不都合な真実は決して教えない、移住礼賛、田舎暮らし礼賛とは、いかに罪深いものだろうか。

集落移住にはもう懲り懲り
友美さんは今、ようやく集落の目を気にせず、別荘地のなかで東京や大阪からの、さらに地元出身でありながら、やはり集落暮らしは耐えられないと別荘地域へと転住してきた同世代の友人夫婦らと、週末は楽しく、心豊かな日々を過ごしている。

そこには、因習悪弊とは無縁の、心から望んだ田舎暮らしの開放的な空気が満ちているという。

友美さんの転住先では、夕方にはフクロウが鳴き始める。そんな声を聞きながら、バルコニーで野菜を調理しご主人と缶ビールを開ける。夜は隣家を気にすることなく月明かりに浮かぶ、南アルプスから富士山へと連なる稜線を眼下にハンモックに揺られる。明日への気力が漲る瞬間だという。


これこそが、都会で夢描いていた田舎暮らし、であろう。今はただ、田舎暮らしを考えたかつての瞬間に、もっと早く「不都合な真実」を教えてもらえていれば、と思うだけだ。田舎暮らしが一大ビジネスになってしまっている今、それは誰も教えてくれない。自分自身でもがいた末に理想の田舎暮らしを得た友美さんは今、こう考えている。

「もう少ししたら、近くにもう一軒買って、都会の両親を呼び寄せてもいいかな」

もちろん、集落移住にはもう懲り懲りだ。

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