幸運な病のレシピ( 447 )朝 :タケノコ入りカツ卵とじ、ニシンみりん干し、父との朝食

今日の食事が死に方を決める、明日の食事が生き方を決める。
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【 2018/5/12の食事 】

父が来たので、朝早かったがお風呂にした。
カツが残っていたので、卵とじにした。
みそ汁と魚のみりん干しを焼いた。

一緒に食べた。

父は元気である。
89歳と言うことで、階段の上り降りはゆっくりとするが、精神的には全く元気である。

時に鬱っぽくなり、食事に来なくなることもあるが、実家に尋ねればしっかりと話をする。

もうトイレの掃除も、電子レンジも何も使えないが、判断力は全く問題がない。
新聞を読んで、テレビのニュースを見ては時事問題にコメントする(笑)。




人は老いる、。否応なく身体の能力は低下する。
しかし、自分が何者であり、周りの人との関係性を認識して行動している。





父のように老いるための食事を僕は探す。


僕は『父の世話をしているとか介護している』などとは思っていない。
もし、父が自分を誰かわからなくなったり、一人で食事とトイレができなくなったら介護サービスの手を借りるかもしれない。しかし、まだその日はもっと先だ。






認知症の本を継続的に呼んでいる。
かなりの冊数を読んだ。
認知症の「治療」と精神病の「治療」、そして教育の分野での「学習障害の治療」には著しい類似があることに気がついた。

かつて家族が持っていた「シェルター」は消え去り、行政による『分離・隔離』に取って代わられた。

政治的に正しいヒト」でない場合は、「病気=治療」か「犯罪=処罰」なのである。
1960年まで、イギリスではゲイは犯罪だった。ロシアでは今でもそうなのだ。詳しくはこちら
年取ることは、「病気」でも「犯罪」でもない。



糖尿病の治療を拒否して自分自身で食事を見つけようと苦しんだとき、僕はまるで犯罪を犯しているように扱われた。
権威の示す生き方を拒否して、自分の生き方を貫こうとする時、コミュニティは排除へと押しやる。
そして、異物を排除するのは何ら不思議なことではない。
そこが問題である。

次の本の主題である。






父との生活は、30年後の自分を見つける長い旅なのだ。
そして僕の姿は37年後の子どもたちの姿なのだ。
子どもたちに恥じること無いように、今を生きていきたい。













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