「わが禁酒の記」 番外 83.9kgになった。めでたいことである。しかし、僕はアルコール依存症だ。

過去の「わが禁酒の記」はこちらから。2016年の80kgの僕はこちらから
『炭水化物がいらない食卓』はこちら『幸運な病のレシピ 宣言』はこちら『幸運な病のレシピ』はこちら



今朝の測定83.9kgになった。
9月20日が90.55kgだったからずいぶん痩せた。

2019年5月20日以降1回飲み会で飲んだのだが、それ以外での晩酌をしていない。


僕は完全に依存症だ。朝は良いのだが、夕方になるとどうしても飲みたくなる。

スーパーのビールの陳列棚の前に佇み、手を伸ばしては引っ込める。買わないで家に帰る途中のコンビニに止めて飲料の陳列棚の前に行く。
自分でどうしても止められなかった。そして依存症は治ることのない病である。




多くのアルコール依存症の人の手記を読むと、そのアルコールの飲み方は、こんなものではないことを知る。

生活が破滅する所まで飲まなければならない苦しみは、120kgになった頃の僕に重なる。






「境界線型糖尿病」という言葉がある。血糖値が治療を始めるには低くて、治療できるまで待ち受けている医者の用語である(インシュリンや血糖降下剤は低血糖を引き起こして患者に問題が起こるのである程度高い血糖値でなければ処方できない。)。
その言葉に騙されてそのままの生活を続けると、もう戻れない所まで行くのである。

「アル中の一歩手前」という言葉があるが、それと全く同じである。
症状は軽くとも(無くとも)「トラブルの渦中にいる」ことは変わりないのだ。

そしてこの病気(状況)は医者には治せない。
一人で向き合っても破滅への道しか残されてはいない。

「依存」が破滅への道に進むことを食い止めているのである




肥満もアル中も、「生活習慣病」全般が、「自分自身であろうとして厳しい現実に対して向き合う」時に生まれる。








問題はなぜ、酒をやめられているかである。

9月20日に何が僕の中で起こったのかである。
分かっているのだが、言葉に出来ない。



僕は、肥満といい、アルコールといい、トラブルが形に現れるから幸運だった。
多くの生活習慣病の前駆状態は「食事、仕事、人間関係」におけるトラブルを表現している。
社会の歪を図らずも犯罪が暴露するように、生活習慣病は今の「食事、仕事、人間関係」に問題があると言っている。





時折の宴で飲み、また飲まないままにいることが出来るのだろうか。

そしてそれは僕が望んだことなのだろうか?




1088990