「わが西遊記」と出会った頃。中島敦って好きだなあ。

『「皮膚の内側」に閉じ込められた精神』と言う意味のことをどこかで読んだと思う。
探しているのだが、見つからない。
桑原武夫さんの本の中にという言葉を読んだと思い、探すが、どうも見つからない。


大学の頃、京都学派と呼ばれる人たちの本いろいろと読んでいた。
貝塚茂樹さんの本なども好きであった。

高橋和巳さんを読んでいた頃であったなあ。
最近はあんまり読まれていなんだろうなあ。


坂口安吾さんが好きになったのものこのろだろうか。

何故か、いつも、中島敦さんを思い出す。
朗読があったので思わず聞き入ってしまった。

悟浄出世」と「悟浄歎異」は好きである。
沙悟浄って、ただの河童ではなかったのだと知った。
時に人生に悩む時、沙悟浄の苦悩を思う。





小さい頃、「世界名作文学全集」の中国文学の感が好きだった。
自然と、中国文学の研究者の本を読むようになっていた。




マイクロバイオームは皮膚というホスト(コロニー)の境界を超えて、他の生物のコロニーで生きる。
移住するために様々な方法でホスト(コロニー)を操る。
同様に何を食べる出来かということも操っている。



皮膚の内側から出ることの出来ないマイクロバイオーム(私細胞=精子卵子に起因するDNAゲノムを持つ)と特定の環境に縛られないマイクロバイオームの関係を記述しているのが『文化』なのである。

なんか色々分かってきた。




人が何を食べるのかということは、「DNAと言う設計図」には記載されてはいない。
多くの生物は、「食物連鎖」と呼ばれる特定の環境の中でしか生息できない。
そこから自由になる代償として、私達は生活習慣病を得た。





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「DNAと言う設計図」
僕は、「通常の意味の設計図」とは考えていない。生命のプロトコル(通信手順)と考えている。
そして、常に進化(適応)するための変更手順を内在している。
ネットの社会で、新しい手順が必要になった時はRFCが作られる。


おそらく、ウイルスなどの作為も生命のRFCと考えればいい。
ウイルスが生命の進化の主役だという事は時おり読むことがある。

生物をマイクバイオームのコロニーと考えれば、外見上の(形状的な)変化だけを「進化」と考えるのはおかしい。
進化(適応)の主役をマイクロバイオームと考える必要がある。





そして、もっと重要なことが導き出される。
人の細胞の分化をどう考えるかである。
細胞は、環境(色々な誘導体など)の中で独自に変化していくのである。
決して、パーツとして「設計図に従って」出来上がっていくのではない。
何らかの機能を果たすように進化(適応)していくのである。

そう考えると、特定の機能を持った組織が損傷した場合に、別な組織がその機能を果たすことも納得がいく。


なかなか面白い。



生命の死は、生命自身にとっては苦痛であり悲劇であるかもしれないが、中に住んでその生命をコントロールしているマイクロバイオームにとっては単なる引っ越しに過ぎない。

だからといって、苦痛が和らぐわけではない。




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