僕のマイクロバイオーム論(18) なぜ哺乳類のセックスはこんなにも似ているのだろうか

僕のマイクロバイオーム論シリーズはこちら





私達は、『何者かに操られている』と思うことが嫌いだ。自分は誰よりも優れていると思いたい。
これは当たり前のことである。そして一番の問題である。






マイクロバイオームの研究がミクロの生命の存在を「科学的(笑)」に証明しつつある。
しかし、そのミクロの生命は目に見えなくて、何も悪い事をしない、そして私達に道を指し示す。



ハリガネムシを始めとして様々な「小さな生命」が宿主を操縦して都合の良い行動をとらせる。
すでによく分かられている現象である。
様々な寄生生命と宿主の間で見られる関係である。



「人間には、そのような(体内に済むミクロな生命に操られる)ことはない」と考える合理的な理由はない。









『人間には、「理性」があり、「本能」だけで生きている動物との大きな差である。』という考え方はあまりに当たり前に考えられていて「そうでない」事を考えることは困難である。


そして、理性の源に「言語・文化・宗教」が潜んでいると考える。
それに対抗するかのごとく、多くの欲望「性欲・食欲・物欲・支配欲」は本能に分類される。そしてそれは、「獣でさえ持っているもの」である。

そして「ヒト」が獣でないためには、「理性」がそれを制御しなければならないのだ。
逆に言うと、「本能を制御する理性」こそが「ヒト」であると捉えられているのだ。

だから理性で決められているパートナー以外とのセックスは「獣」のすることなのだ。
獣は社会的に抹殺される。
不倫をすると(特にイメージ商売では)糾弾され、抹殺される。
社会に復帰するには(不倫時点でのパートナーと別れて)改めて結婚する必要があるのである。







この「結婚」という制度は、深く「家族=宗教」とつながっている。
特定のコミュニティにおいて、マージナルな存在との性交渉は「感染症」をコミュニティに侵入させる可能性がある。
そのために厳しく禁止される。
多くの視界では「マージナルな存在」には、「同性、家畜や植物」と言ったものが含まれる。

キメラへの恐怖は沸かしたちには根強い。
ケンタウルスからハルク(ラバやレオポン)まで、種を超えた「あいのこ」に対しての恐怖である。
それは、自分自身が侵される恐怖でもある。


しかし、マイクロバイオームにとってみたら、いずれも居心地の良い棲み家である。
また、ある種の菌類が植物の構造体を、動物界でのリソースに代謝するように、『この世界』の中の重要なプレーヤーでもあるのだ。










「理性が欲望に負けるという現象」は僕の弱さなのだろうか?
食べてはいけない、飲んではいけないと思いながら、どうしても食べてしまうのは、僕が悪いのだろうか?
昨今の不倫騒動を考えてみれば、バレたら破滅すると知りながら、コミュニティが糾弾する性交渉をもつのはなぜなんだろうか?
なぜ、ある種の性的嗜好を持った人たちは同性や、異なった種とのセックスをしなければならないのだろうか?
異性とセックスする行為が何で正常なのだろうか?

なぜ幼児に性欲を感じるのだろうか?


なぜ、かくも理性はもろく、セックスの、あの躍動の前には雲霧四散してしまうのだろうか?


長く悩んできた(笑)のだが、この数年の思索の末に、結論が見つかったような気がする。




そもそも、「理性」などというものは「人の解剖学的なパーツ」としては備わっていない。
言語や社会や宗教や道徳などというものは、長期間の記憶が備わったために派生してきたものでしか無い。
食物連鎖のクビキから離れた「ヒト」という存在は何を食べて何を食べてはいけないかを記憶しなければならなかった。

文字や言語を持たない生物は、記憶することが出来ないために食物連鎖から離れることは出来なかった。
逆に言うならば、食物連鎖から離れることが出来るためには、過去を記憶する装置が必要だったのである。

なぜ、ヒトは「フグ」を食べる技を知ったのか?
なぜ、食べようなどと思ったのか?
謎である。





というのが結論である。
では、理性に含まれている、人独自の美徳とは何なんだろうか?






理性は「欲望」を禁止する。
宗教という形をとったり、夫婦、家族、親子といった関係性の中での「トレードオフ」として機能する場合も多い。


禁止される欲望をどうしても抑えられない自分は「異常」なのだろうか?
酒をやめられない俺は「異常」なのか?
酒のために苦しむことになっても、自分の責任か?






哺乳類のセックスはほぼ同じパターンであると言えるだろう。
そして哺乳類間でのマイクロバイオームの交流は、おそらくセックスを介在する。
同じ種での生殖という行動のパターンをマイクロバイオームが焚き付けて、自分たちの交流として使うのである。



その時の相手さえも、マイクロバイオームの好みに従う。
100年の恋も、自分のマイクロバイオームが、相手に潜んでいるマイクロバイオームと結びつきたいから求めるのである。
虫がすくとか好かないとか、蓼食う虫も好き好き、いずれも同じことを言っている。


そう考えれば、子供を生む以外の「セックス」はなにもおかしなものではない。

欲望の根源にマイクロバイオームが存在すると思えば、多くのことが説明できる。
なぜ子供を生むことの出来ない(排卵、射精ができない)状態でもセックスをするのかの説明もつく。

いくつになっても、身体の中に住むマイクロバイオームは他のらだとの交流を望むのである。
相手が何歳であっても、マイクロバイオームにとっては関係はない。

とにかく体液を交えて交流したいのだ。










「依存症の理由」を医学は説明できていない。
脳の報酬物質がどうのこうのと言うが、ラットや試験管の観察では、解決方法を見つけ出せはしない。







1024538

ニューズウイークのこの記事は面白かった。
あくまで「人間」にとって役に立つか立たないかという観点からしか見えることの出来ない「視点」が明瞭なのが面白いのですよ(笑)。




空から降るウイルス、想定より千倍以上多かった

空から降るウイルス、想定より千倍以上多かった
2018年2月13日(火)15時00分
高森郁哉

空から降るウイルスは想定以上だった Andrey Danilovich-iStock

ウイルスは高度1000メートル以上の上空にも存在し、日々地上に降り注いでいる。こうした空から降るウイルスは、以前考えられてよりもはるかに多いことが、カナダのブリティッシュコロンビア大学(UBC)の研究者らによって明らかになった。

論文は英学術誌ネイチャー系の微生物学専門誌「ISME」に掲載され、「サイエンス・アラート」などが報じている。

UBCの調査結果
米農務省森林局の以前の調査では、米国内の森林部の上空から、年間に1エーカー(約4047平方メートル)あたり1兆個以上のウイルスが降り注ぐとしていた。これを換算すると、1日に1平方メートルあたり約68万個のウイルスに相当する。

一方、UBCのウイルス学者カーティス・サトル博士らは、スペインのシエラネバダ山脈において、大気境界層(高度1000メートル)よりも高い自由大気圏内(2500〜3000メートル)の空気中で調査を実施。その結果、1日に1平方メートルあたり8億個以上のウイルスが大気境界層に降り注いでいることがわかったという。この数字は、先の米森林局の測定値の約1200倍となる。

発見の意義
こうした自由大気中のウイルスは、地表に堆積する前に数千キロも移動する場合があるという。研究チームは、地球上の遠く離れた場所で遺伝子的に同等のウイルスが同時に検出される現象が、今回の調査結果で説明できるとしている。

上空に大量のウイルスが存在し、常に地上に降り注いでいることは、必ずしも悪い面ばかりではない。人間にとって有害なバクテリアを殺すバクテリオファージ(殺菌ウイルス)も存在する。研究チームは、ウイルスが大気中を移動しながら長期間とどまることは、ウイルスの多様性を保ち、生態系が環境の変化に対応するのに役立っているはずだとしている。