「人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプト( 14 )食べる楽しみ諦めない。

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人生は我慢大会ではない。

ベッカーさんは言った。「糖尿病になったら、グルメになりなさい」と。
今なら良く分かる。

すでに炭水化物を積極的に食べなくなって2年半が過ぎる。
あくまで積極的に食べないだけで、少しばかりなら、食べる。
猛烈に旨い。




どんなに頑張っても、あの旨さにかなうものはない。
これは確実である。


しかし、今私達が直面している問題は、『炭水化物と人類の関係』を論じることでしか浮き彫りにならない、



炭水化物が悪者だという連中は多い
僕はそうは思わない。

炭水化物がなければ文明は存在しなかった。
多くの文明が生まれ、破壊されていったことと「炭水化物の力」には関係がある。
そして、今この文明がテロの危機に面しているのも同根である。



かつては熱狂した糖質制限であるが、今では糖質制限派の医師も余り好きではなくなった


炭水化物が人類を滅ぼすとか、危機感に煽るのは結構なことだ。
専門家の言うことを信じるべきだという奴隷を集めるにはいい方法だ。
しかし、あまりに薄っぺらな世界観には腹が立つというよりも呆れ返って話にならない。
ここここを見てちょうだい。



その人のその時の「身体や年齢、状況」に「適していない炭水化物の量」くを食べる「生活の継続」が『将来的な災厄(=悪者)を生むのである。

そして問題は、人の身体は千差万別、決して同じものはない。
誰にでも効く万能薬はない。


生活を変えるのは困難である。




既に、炭水化物を積極的に食べない生活を2年半続けた。
「良く我慢出来るね」といわれるが、我慢できるわけがない。
炭水化物を食べた時の気持ち良さは何者にも代えがたい。

しかし、炭水化物がなくても満足できる生活を作ることが出来れば、遠ざけることが出来る。










僕くらい、いっぱいのカップラーメンに涙する男もいまい。
それもミニのサイズである(笑)。
うまかった。
今日は、16時間かかって、いいソース(プログラム)が書けたので、お祝いである。
カッコイイんだぜ。



多すぎるブドウ糖が血管を傷つけると、医師や研究者は言う。しかし、30年前の考え方である(笑)。(注1)

僕はもう少し違った風に考える。
多すぎるブドウ糖は、早い時期に満腹を与え、必要なタンパク質と脂質を取ることが出来ない。
そのために免疫の不全、細胞膜不全を起こすと思っている。


タンパク質と脂質は私達の体を作っている大事な構成要素なのだ。
ブドウ糖はこれがなければ「低血糖で死に至る」重要なものではあるが、脂質とタンパク質から体内で作ることが出来る。
そして、炭水化物(ブドウ糖)は(その瞬間に使われなかったら)体内で脂質に変わる。

つまり、長期的な栄養失調が発生するのである。



この考えは昔から多くの人が言っている、
しかしことごとく無視され続けている。

エビデンス」が存在し得ないのである。
つまり、薬を作って売ることが出来ない。

しかし、生活習慣病は決して減らない。
私たちは、恐怖している。




===== 酔っ払ったので寝ます。起きたらここに続きを書きます=========











私達の食事体系は炭水化物を骨格に作られている。
炭水化物は人口を維持するためには必須の生産物である。
人口の維持は兵隊と国家の強力化の最大の条件である。

だから悪いことではない。

しかし、私達の体の50%はタンパク質で、残りは脂質である。
炭水化物は、脂肪に代謝される。

多すぎる脂肪は多くの災厄を招く。

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注1 : 多すぎるブドウ糖が血管を傷つけると、医師や研究者は言う。しかし、30年前の考え方である(笑)。

未だに糖尿病が毛細血管系の疾患を生むのかは、「エビデンスの明確な仮説」が存在しない。
あまりに多くの原因が複雑に絡み合いすぎているのである。
単純な因果関係を想定して、薬を売るようなメソッドでは「来るべき災厄」からは自由になれない。

HBA1C」というヘモグロビン糖質が結びついてしまう現象と糖尿病の発現率の相関性、「糖化アルブミン」の発見。
こういった検査値で健康を測定することは盲人が象を撫でるようなものである。
なでている場所によって、全く違ったものと認識してしまうのである。


「分子化学」の手法が大きく発展した今では「炭水化物・脂質・タンパク質」の身体のメインプレイヤーは決して実験室の中のように単独で純粋に存在などしない事が分かられている。
検査値の異常は生活の影でしか無い。医学は金をかけた影踏みである。いくら影を捕まえようとしても、それは出来ぬ相談である。
しかし患者は、それを望む。





30年前と書いたが、そのバックボーンはもっと昔からある。
窒素からタンパク質が作られることが実験室の中で確かめられ、生命の起源に「神」という概念を必要としなくなったときから始まった。
近代の科学は「神」否定から始まっている。
そして僕は「複雑系」という神を担ぎ上げようとしている。
少し重いなあ。