「人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプト( 15 )私というコロニー、家族というコロニー

「人生痩せたり太ったり(仮題)」のコンセプトはこちら 


「コロニー」ってなんだろうか、「1種類の生物が集まって作る繁殖のための群れ」という所が定義であろう。

しかし、その考え方自身が大きな間違いを生んでいる。





私という意識は自分自身をまるで一つの会社の様に考えている。
脳(意識)が社長で、心臓・肝臓・腎臓・胃は部長でそれぞれ、中脳、小脳、肺、十二指腸、小腸、大腸と言う課長がいて脾臓膵臓、脳下垂体、胸腺、は係長だろうか。
目や耳は社長直属(笑)のように感じている。

しかし、マイクロバイオームの研究は決して私という意識がそんなにしっかりとしたものではない論じている。
最初は1種類だった細胞が数が増えるに従って、様々な機能を失い、同時に特化(機能を得始める)していく。
それぞれの完成した組織や臓器はあたかも同じように見えているが、詳細においては全く違っている。


結婚して30年経った夫婦がいたとして、突然離婚したり死別したときに、機能をなぞることが出来るパートナーを見つけることは出来るだろうが、共に生きた年月を共有する存在は見つけられはしない。


再生治療は人をパーツの塊として考える。

僕はそうは考えない。
一つの細胞が分化して変わっていく。
元の遺伝子ゲノムは同じかもしれないが分化していく先で全く違ったものになる。

例えば、豚のインスリンは人にも作用する。
1922年当時、インスリンはブタの膵臓から抽出されてヒトに注射されていた。
つまり、ブタとヒトの細胞は、細胞外部からインスリンというタンパク質での許可を受けて「ブドウ糖を取り込むという機能に関しては」ほぼ同じなのである。

これは恐ろしいことである。
ブタの膵臓を食って、インスリンがそのまま体内に吸収されたら、低血糖で死んでしまうのである。
それを防ぐために外部からの食事からのタンパク質は体内で機能しないレベルまで分解される。
と同時に、マイクロバイオームにおいて算出されたタンパク質は体内に受け入れられて様々な機能を果たしている(らしい)

これはM&Aの様に思える





再生治療に関して膵臓のランゲルハンス島β細胞の再生を試みている研究者がいる。
ブタの臓器の移植を試みている人達がいる。

心筋系の問題、脳のある部分の障害「脊損による麻痺」の様な悲劇に対しての救済となるのかと期待した。
いずれも、苦しんでいる患者にとっては朗報である。

しかし、一向に成果が出ていない。
どうもその気配がない。

僕は再生治療には否定的だ。
移植技術の進歩は、あたかも人体を部品のように扱うようだ。

今の再生治療研究の方向は、あたかも、不老不死を望む如きにしか見えない。

「遺伝子・進化(適応)・再生治療」の三題噺とマイクロバイオームの議論をかけ合わせると面白いものが見えてくる。

まさに再生治療は現代の錬金術である。
問題は、この道が行き止まりであるという証明はいつ出来るのかである。
あまりに多くの予算が割り当てられて、多くの人間がこれで飯食っている(笑)。

撤退の道筋を考えないで突撃するのは「帝国日本国軍」以来の伝統なのだろう。







最近「べん毛研究の本」を読んだ。
動物の始まりの本だ。

植物は別な起源(屈光性)があるのだろうが、動物の場合は単細胞生物が「細胞膜上の受容体(センサー=目)」と「べん毛(移動手段=足)を持つことで始まったと論じている。
ちょっと衝撃だった。
多細胞生物は、鞭毛を持つ生物に習い、目を持ち足を持ち、他の生命を捕食する。

ここに詳しい。



しかし「私」とは「精子卵子に由来するDNAゲノム」を持った真核細胞の集団と、数ではそれを遥かに上回る細菌とウイルスが外界から隔絶する仕組みなのだ。
固く結びついた細胞(タイトジャンクション)は乾燥から『私というコロニー』を守る。
温度(体温)や水分量、血糖値、酸素量、様々な生化学物質は一定の比率に維持される。

そして、希少な価値の奪い合いを続ける。

免疫は、このコロニーを維持するための仕掛けであり、決して『「精子卵子に由来するDNAゲノム」を持った真核細胞の集団』を守るためのものではない。

勘違いをしてはいけない。



世界は希少な価値を奪い合うルールの塊である。
コミュニティというのは、このルールを共有しているコロニーなのだ。

そして現実という希少な価値を奪い合うコロシアムに対してのシェルターである。
シャーレの中のコロニーのようにである。


943561