孤独の中に死ぬことが制度化された社会」 ( 1 ) 医師や専門家には任せられない。『高齢で活力衰える「フレイル」、国内250万人が該当か』これは何が言いたい記事なのだ!

久しぶりに、腹が立って仕方がない。

この記事を書いた記者も、医師も、自分が80歳になった時にどんな状態になっているか想像できないと見える(注1)。

かつて私たちは「家族と言うシェルター」を持ち、生きることの苦難と苦しみを乗り越え、喜びをともにしてきた。
同時に、「家族」は縛めでもあった。「家族」とは、宗教のように、自分の犠牲で維持される神殿でもあったのだ。


「家族の意味」がわからない私たちは、喪失にも気がついていない(注2)。


今の社会は、人生の最後に、老人を一人でいきる他無い様に出来ている。
子供が一緒に住むことはまず無理だ。
「孤独の中に死ぬことが制度化された社会」である。
これは社会の問題だ。

無論、社会的な要因以外の問題もあるだろう。
しかし、個人の事情だといい出したら、社会を変えることでの解決はありえない
そもそも社会の問題として認識されない。

それでいいと思う人もいるだろうが、僕はそんな人生は気に入らない。





うちの父などは幸運な例外である。
僕には決して回ってこない幸運だろう。


都会では居住空間が足りず、地方では若者の職がない。
「介護離職0」などというスローガンは年寄りは介護施設に任せて孤独の中に死なせろと行政が言っている言葉である。
「外語離職補助金」を出したほうがよっぽど人間的である(政権の支持層には利益が落ちないが)。
老人の年金を介護保険という名目の税収として公務員を増やすために使う。
そして現場で働くのは低賃金の臨時職員である。

介護施設は建築害者のドル箱である。

しかし、安心しろ、偉そうな役所の人間も、こういう馬鹿な制度を素晴らしいなどという "ヤカラ" も、もれなく皆そこに到達する。






僕は、毎日スーパーに行くが必ず、一人で一生懸命買い物をしている老人を見る。
もう80歳はいっているだろう。
カップラーメンや安売りのおにぎり、弁当を買いレジに並ぶ。
リュックに買い物を詰めて必死に背負う。

何も手伝うこともできない僕は涙が出そうになリながらそこから去る。
スーパーのレジは辛いことばかりだ。



母が亡くなる1年くらい前、足を痛めてたって歩けなくなった。
近くの介護施設でお風呂に入る事になり、介護認定を受けて週にに数回車が迎えに来た。
お風呂だけでいいと言うのに半日のコースでなければだめと言われて母は渋々昼食までいた。
何やら年寄りばかり集めて歌歌わせたりゲームさせたりしているようだった。

友だちができていいじゃないかと母に言ったら、吐き捨てるように、「何も面白くね。田舎もんばっかで、もういきっとね。」という。

当たり前である。今朝まであったこともない年寄りばっか集められるのである。
「友達が出来るね」などと言われて、ニコニコ話ができる訳がない。子供だましもいい加減にしろ。幼稚園とは違うのだ。
僕は母に施設をすすめることは止めた。


そこに集められた人達の共通点は、「醜く汚く、誰かの世話が必要で」「今から来る未来を恐怖している」ということだけである。

父は、とにかく寝ていたいから、一緒にお風呂に入るのだが、とっとと帰りたがる。

あんなとこ行くのなら俺は銭湯に行くという。

母は、週2回の訪問マッサージと食事、僕も出来るだけ長い時間一緒にいたことが良かったのか、二ヶ月くらいで立てるようになり、風呂も父と一緒に入れるようになった。








なんでも良いから施設に入れればいいなどという現実はおかしいと思わないかい。
大事なことは、施設で満足できるかであろう?
その答えは入っている人達が持っているはずなんだ。


年寄りは「汚い」これは仕方がない。
母は食事をしている途中でちゃぶ台の横においてあるいつ洗ったのかわからない歯ブラシとコップで歯を磨きうがいをする。
一緒に食事をしている父は箸を爪楊枝代わりにして、歯の隙間に挟まった食べかすをつまみ出す。
とても一緒に住むのは辛い。

これは、年寄り同士でも同じなのである。

30年前に家を出た子供は既に他人である。
戸籍は財産への権利を証明するが、それだけでしか無い。






同時代を生きた友は、みな死んでしまい、徐々に自分の体も動かなくなる。
人生のパートナーとも分かれ、本当の孤独が始まる。
何を支えに生きれば良いのだ。
辛いと思う。


自分の身に起こったらと考えると切ない。
この記事にはその切なさが感じられない。
行政(どこかの偉い先生)の発表をそのまま記事にしている。
現実に対しての批判という観点はこれっぽっちもない。






僕は2015年4月に失明宣告された。
毎日失明の恐怖とともに起きて一日の食事と格闘した。

母は自分のことなどよりも僕のことを心配した。
今まで遊びに来ていた友人が介護施設に入り、連れられてきた時に以前の活発さが無くて驚いた。施設に入るとあんなになるんだと恐ろしがった。
櫛の歯が抜け落ちていくように友人は遊びに来なくなり、やがて自分かパートナーのどちらが先に退場するか考えるようになる。その後の人生はどうなるのか予想もつかない。
あの施設に入りおとなしくなった友のようになるのかと思う。
毎日が恐怖との格闘だろう。やがて、その恐怖も感じなくなる。
劇場のカーテンが閉まるように人生のステージも閉じれば良いのだが、そうならないことの恐怖が心を捉えてやまない。
眠るようになくなった母は幸運である。







話の合う友人は既にみな死んでしまい、施設で見知らぬ老人と「友だちになれ」とテーブルに座らせられる。
生い立ちも若い頃の姿も知らない人どうしで話をさせる。
自己紹介や趣味の披露、身の上話、楽しいと思うか?
社会性が身につくとおもうか?

まさに優等生が考えついた介護政策である。







友も死んで、子供は既に他人となって、施設に入っても、カラオケ大会やビンゴゲーム、丸になって風船突きあったり、自転車こがせられたり、俺はゴメンだ。


毎日、過ぎ去った日を思い出しながら庭を眺め、花の移ろいを喜び、出来うるならば、春の少し暖かい日に縁側で昼から一杯やりながら死にたいものだ。


まずは、ボケない食事だ。
毎日必死に食事を作るのは、そのためだ。

食事を作れなくなったら僕はどうしようもない。
炭水化物ドッサリの食事は血糖値を上げるからインスリンを始めなければならないが(まあ、薬という手もあるが....)、自己注射が出来なくなったらもうだめである。

いま父に食べてもらっている食事は実験だと思っている。
毎日食事を食べてもらう事で、同じ遺伝子をもった30年後の自分が何を食べるべきかわかるのだ。
明らかに父の状態はいい。
1年半前に陥っていた状態に比べれば遥かにいい。小便を漏らしてろれつが回らなくて救急車で搬入されたのである。
20160207.pdf 直

あのとき僕は決心したのだ。30年後の自分を助けようと決心したのだ。
家族に意味はここに在る。







今続けている「幸運な病 のレシピ」は、僕の半分の遺伝子を共有している子どもたちへの遺言である。
こんなもの押し付けてゴメンな。けど、僕も好き好んで貰ったもあのではないんだ。せめて残りの半分は良いものだから勘弁してくれ(笑)。
は母『あたわり』といった。

誰も、望んで生まれてきた訳ではない。そして、望んで死ぬわけでもない。


僕の見つけたものをなんとかして伝えたいのだが、「家族」という食事(人生)を記憶する場所を失った僕らには無理だ。
けど、まだ何かやれることはあるかもしれない。

20台の終わりに糖尿病と診断され、25年間治療を繰り返しては中断してきた僕が失明を宣告されて、食事でなんとかなりそうなところにいる。けど、そんなに長生きはできない。そんな僕だからこそ見える何かが在るのかもしれない。


医師の権威を信じない僕は愚か者かも知れないが、愚かである強さがもっとほしい。





自分が80歳になったときの姿を見つめることはとても大事だと思う。
母が亡くなる少し前から、朝起きると目が見えないと繰り返した頃をもい出す。
朝だか晩だかわからないといつも言っていた(父の毎日の言葉だ)。
糖尿病で苦しんだ僕には、徐々に「自分が失われていくことが感じられる恐怖」を実感出来る。

自分に言い聞かせるように、何度それはあたり前のことだから、心配しなくていいと母に言ったことだろうか。


2015年4月に「手術をしなければ失明する」と言い放った医師には心底嫌悪する。
しかし、妻は気が済むようにすればいいといった。目が潰れたら代わりをしてあげると言ってくれた。




父は、毎日自分の体の衰えを嘆く。
しかし、いい日だったと言う。
毎日寝てばかりのように見えるが、きっと素敵な夢を見ているのだろう。

自分を見ているようで切なくも嬉しくなって、今日は何の料理を作ろうかと思う。
母の作ってくれた料理を思い出しながら、父のお膳を考える。
家族の意味である。
そして「介護施設」からはすっぽりと抜け落ちている(注3)。






間もなく国体の仕事で愛媛入りする。
毎年、母は嬉しそうに見送ってくれた。
共に生きる事と、互いに励まし合うことが家族の大事な意味だった。

母が亡くなったのは3ヶ月後である。

家族を「外注化」するのがこの50年の行政の試みだった。
「教育、食事、介護、育児」このすべてに行政は入り込んでいる。
それは仕方がない。グローバリズムは否応なしに社会を変えたのだ。
しかし、残念なことに、優等生の考えた社会の仕組みは、自分自身がそうなったときのことを考えたものではない。
弱者の目でしか見れない事実があることに気がついてはいない。



しかし、僕にやれることはあるはずだ。

僕の子どもたちが80歳になって施設に入る時に、今よりももっと良くなっていてもらいたいから。

諦めるのはまだ早い。




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注1:この記事
大手の新聞というものは客観的に事実を伝える使命があるというのだろうが、この「事実」は行政の側の事実である。
介護施設が「当たり前でいいものだと言う前提」を読者に刷り込むことで、現実を容認して、介護施設の運用者を利するものである。サイコパスな記事である。

まさに、過剰包摂と排除型社会の典型がここには有る。

介護の仕事の現場がいかににコストカットされ、運用主体の外注化(注1−2)によって苦しんでいるかは知らないはずがない。
そこに暮らす他ない老人がいかに苦しんでいるかは、みんな知らん顔だ。
「自分の身になってみなさい」ということである。

今の社会の構造は介護施設という解答以上のものがあるとは僕にもわからない。
しかし、そこに問題が有ることを意識していない "ヤカラ" にはひとこと言いたい。

「自分がされたくないことは人にしない」クレヨンしんちゃんにみさえさんが言っていた。



アサヒ・コムより
高齢で活力衰える「フレイル」、国内250万人が該当か
編集委員・田村建二2017年9月18日10時59分

フレイルとは?

 高齢になって心身の活力が落ちた「フレイル」と呼ばれる状態の人が、国内に少なくとも250万人はいるとみられることが、日英の研究チームの解析でわかった。フレイルの人は介護を必要とする状態に近いが、栄養や運動の改善などに早めに取り組めば元気を取り戻しやすいといわれる。研究チームは対策につなげて欲しいとしている。

 フレイルは「虚弱」を意味する英語「frailty(フレイルティー)」からきている。健康と要介護状態の中間的な位置づけで、主に体重の減少や握力の低下といった項目がある米国の基準で判定されてきたが、日本人の実態はよくわかっていなかった。

 児島剛太郎・ロンドン大客員研究員(老年病学)らが、これまでに発表されたフレイルに関連する約1500本の論文のうち、65歳以上の日本人の割合について述べた5本を解析したところ、入院せずに地域で暮らす人の7・4%がフレイルという結果だった。

 児島さんは「分析した集団は比較的健康な人が多いと推定された。実際には、フレイルの人はもっと多いはず」としている。総務省の人口推計(今年7月)で65歳以上の人口は3477万8千人おり、その中の少なくとも250万人が該当するとみられる。

 欧米人を中心に調べた研究では、フレイルの割合は9・9%。追加調査で日本人を年代別に分析すると、フレイルの割合は65〜74歳では海外に比べて低く、80歳以上では高かった。

 研究チームの一人で、日本老年医学会理事長の楽木宏実・大阪大教授は今回の結果について「国や自治体の担当者がフレイル対策に取り組むための基礎データとして活用してほしい」と話す。フレイルの人が元気を取り戻すためには、肉類も含めてしっかり食べて日常的に運動をするほか、社会活動に積極的に参加することなどがすすめられている。(編集委員・田村建二)

注1−2 : 運用主体の外注化
僕の友人で、「公的な介護施設(身寄りのない生活保護者向けの施設)」に務めている人がいる。時間もきつく、その割に給料が安いという。多くの職員は、正規の公務員ではない。田舎ではなかなか職もない。
今度、管理主体が「市」から一般企業に移行するということだ。
コストは当然落とされる。
職員の身分ももっと悪くなる。彼と食事の話をしていたら、食費がまず最初に落とされるだろうなと言う。
箱物行政は、箱ができれば、もう興味はないのだ。後はいかに安く運用するかである。
自分はそんなところには入らないで済むと思いこんでいるのだろう。
サイコパス的な社会である。

ちなみに、その施設にもインスリン治療中の糖尿病患者が2名いるという。ボケが進んで自分で打つことが危険(誤注射は命にかかわる)になったらどうするのかと聞いた。治療を薬に変える(膵臓の機能が残っている場合)か、施設から出ていってもらう他無いという(医師や看護婦の常駐する施設に移る)。
食事でなんとかなる僕のような患者はまだしも、I型の患者(インシュリンの分泌が無い)は注射しなければ生きることが出来ない。
そして僕にしても、30年後まで膵臓の機能が残っているかはわからない。タイマーのスイッチは入っているのだ。
まさに他人事ではない。



注2 : 家族というシェルター。
最近、ハートに来た映画の「ヴィンセントの 教えてくれたこと」でラストで、主人公が歌うボブ・ディランの曲に、この問題が、決して一過性のものでもなければ今に始まったものでもないことがわかる。
現実という嵐に対してのシェルターは様々な形をとるだろう。
決して「家族」だけが解決だとは思わない。家族の持つ凶悪な部分を忘れてはいけない。
その凶悪さから自由になった僕たちは、孤独という別な罠に墜ちたのである。

最悪の問題を解決した瞬間に、二番目の問題が最悪に格上げされる






注3 : そして「介護施設」からはすっぽりと抜け落ちている。
僕の友人(前述とは別な人である)の務めている介護施設グループホーム)では業務として入居者と一緒に食事をするというものがあるそうである。
ちょうど、施設での食事についての議論をしていたときであった。
そしてそれを嫌がる職員もいると言うことだ。
たしかに嫌だろうなと思う。
共に生きるということは「職業」ではない。
資質もあるだろうし、特別なスキルの必要なトレーニングも存在するだろう。
一番のトレーニングは「年寄りが家族にいること」であろう。
妻は若い頃、寝たきりのおばあちゃんの爪切りが仕事fだったそうだ。
かつて私達の持っていた「家族」という装置は役務の場であり、トレーニングの場であった。
そして、自分の未来が透かし見える水晶玉であった。




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