幸運な病のレシピ( 2762 )ギス煮付、鳥ソテー、八宝菜、サラダ

【2022年1月12日】若い頃は自分の未来を予想することは難しい。しかし、家族の姿を見ていれば、自分がどんな人生の終わりを迎えるかは分かる。家族という単位が経済の単位であった時代(農家・商店・企業が小さく経済のコロニーを作っていた時代)があった。三世代が「家」で共に生きた『誕生を見つめ臨終で別れを申した』ものなのだ。1980年代からこちら、社会の変化(サラリーマンという時間を売って生きる奴隷)は三世代で暮らすということを不可能とした。『自由になった、開放されたと大喜びをした世代が、孤独死を迎えている。自分が何もできなくなった時に助けてくれる仕組みを失ったことに気づき、行政に委託した結果が介護施設での残酷な人生の終わりである。毎年健康診断をさせられて、20年後に体が壊れると脅かされて薬漬けにされ、年金ATMとして活かせられる。フードキャピタリズムのの作る冷凍弁当に頼るほかなくなるのだ。今日のお裾分けは「ギスの煮付け、八宝菜、鳥のソテーかぼちゃサラダ、南蛮えびの刺し身、天ぷら」最初はどうかと想いながら三ヶ月芽である。Sさんのあんまりにも元気な姿にお驚いた。ウカウカしていたら追い越してしまうことになりそうである。二日ほどデイサービスで施設に泊まってきたのだが、一番元気だという。のんびり出来るからあなたも行ったら良いと娘さんに言ったと聞き大笑いした。Sさんの旦那さんは教師だった。家を立てた後、単身赴任を続けろくなものを食えなくて、引退近くからスッカリ体を壊して、インスリン、膝の人工関節、動けなくなって近隣の施設で「政治的に正しいゼリー」を食わせられて、半年で亡くなった。いくら家族が口から食べるものをと頼んでも誤飲するから駄目だと言われたという。食事は生命を受け止めるための大事なプロセスである。食材が死んでからの時間と距離が短いほうが良いのだ。遠い工場でベルトコンベアで切られクレームの無いように蒸し柔らかくされた煮しめには生命のかけらもない。母と旅館で食事をしたことがある。煮しめに旨くないといった母に、お店の人がいる手前、怒って食べたら本当に不味かった。毎日Sさんい料理を作っているが、美味しい美味しいと言ってくれる。多分、正解だ。時間はかかる、汚れ物は出る後片付けは大変だ、買い物も欠かせない。お店に行けばワンコインで満腹が還る。しかし、人生の終わりはそれなりのものになる。僕はまっぴらである。食事こそが、人生の終わりを素晴らしいものとしてくれる。問題は、作ってくれる人がいない事だ。『百年のお裾分け』というのは、コミュニティモデルであり、経済の革命であり、おいしい食事なのだ。なんとか僕の80歳には間に合うと良いのだが。


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