幸運な病のレシピ(38) 後片付けを科学する(2) 家族で分担出来る部分と出来ない部分

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後片付けは難しい。最近の家庭で、料理をしなくなった大きな原因の一つだと思う。
一番大きな問題は、共働きなどで家事の専門家を家庭が失ったことである。

厨房仕事とプログラム作りはよく似ている。個人的技術に支えられ、作業の分担が難しい。
よく穴掘りに例えられる。1人で1時間かかる穴掘りを100人がスコップ持って集まっても1時間かかる。




僕は、食事を適切に作らないと大変不幸な「死に方」をする糖尿病という病気である。
しかし、もし妻に食事を任せっきりだったら妻が先に死んだ時、僕も死ぬことになる。

なので、僕は、一番最初に後片付けを皆自分でやろうと決めた。
妻は当初、お手並み拝見という感じであった。



ところが僕の皿洗いでは、余りに皿が汚くて(何となくベタベタする)、家族みんなから非難轟々である。
家族全員が皿をもう一回洗うようにするのである。
食洗機というすごい発明に対する僕の不理解が原因であった。

この問題もクリアして、時間短縮を目指すことになる。
当然「共同作業化=役割分担」が大きな課題であった。



今ではクレームもない。
大変だった、しかし、勉強になった。
「後片付けの科学」というのは実に奥が深い。



片付けというのは厨房でみな違う。
『厨房恒常性』を維持するためには絶対に必要なのだが、全ての厨房は違っているので、一般かせ切るようなノウハウがない。



とにかく、仕事をマニュアル化しづらいし、その厨房に対しての最適化は見当もつかない。

だから、食事が大事だという掛け声は聞こえても、作ることが出来ない。


全ての作業を自分でやりだしてから2年半が過ぎた、今ではクレームもない。

僕が忙しい時には妻が後片付けをしてくれる。
同じマニュアルで同レベルの仕上がりが出来るようになってきている。



一人なら問題はないのだが、何人かが一緒に厨房を使うと問題が発生する。





「後片付けの科学」というのは実に奥が深い。
あらゆる環境での再現可能な手順と、一般法則の発見、そして「人類の幸福」こそが科学の使命である。


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