父と暮らす。 父の夕食、僕の夕食

毎日父は家で夕食を食べる。
同じ道筋を通る散歩のように同じ速度で同じ順番で食べる。
ほぼ1時間をかけて食べる。

「足りるかね」と聞くと、十分だがなと言う。
「いつも食っちゃ寝ですまないな、ありがとう」と言う。
「食べて、ありがとうごいってくれるのはお父さんだけだ」と僕は言う。
昼間はカーテンを閉めて暗くした部屋で寝ている。
「こんなうまいもの食べて、眠いなどというとバチが当たるなあ」と言う。
「寝てる時以外は眠いのが普通だ」と僕は言う。

毎日コップ3杯の酒を飲む。
「そんなに飲みすぎるな、バカタレ」と自分で言いながら注ぐ。
一人二役で、もう止めてくれることのない母の役をする。
最近は、コップの酒を飲み干さないで(20%くらい残して)継ぎ足す。
どうやら自分で量を調整しているようだ。
少しずつ小さいコップにしていこうかと言うと、笑う。
「勘弁してくれ」と言って笑う。
ありがとうと呟いて笑う。

僕も飲む日は父よりも僕のほうが終わるのは遅い。
一緒に飲むのは楽しい。

 
 

母が生きていた頃は毎食ご飯を2膳食べていたが、今は60-80g程度である。
当初はもっとご飯を多くしてくれと言われ、お代わりをしていたが、料理の方を(多くする方向で)調整していくうちに言わなくなった。

食事の時、今書いている本の話をする。
炭水化物は食べると、体内で脂肪に変わることを話すと、ちゃんと理解する。
と言うか、父に理解できる言葉を探す。



食べ終わって、お茶を飲む。
薄く目を閉じて身体がユラユラとする。
仏間に戻っても話しかけてくれるのは写真だけである。
できるだけ長くいてもらいたい。

はっと目を開けて、「ごちそうさま、俺は寝させてもらうわ」といい、家に戻る。
「明日もよろしくおねがいしますね」と良い、タイソウそうに椅子から立ち上がって帰る。
「今日もいい日だった、明日もいい日にしよう」と言いながら帰る。

「明日も、朝ごはん食べに来てね」と声をかける。
いつか『もう来ない日がくるのだ』と思うと泣きそうになる。




妻が仕事でいない夕食の時は「直子さんは毎日大変だな」「経理の仕事なら俺が手伝えるんだがな」と言う。

「今日はどこ行ってきたね」と聞くと夕方の散歩のコースを話してくれる。
天気のいい日は「一杯やってきたかね」と聞くと、「ああ、軽くな」と言う。
カルチャーコースではセンターの2階にある喫茶店でビールの小瓶を頼む。
駅前コースでは駅前の寿司食堂で一杯やる。
タバコが好きで、定期的に近所のドラッグストアで買う。
60年前に会社に勤めていた頃に働いていた頃、交換台に勤めていた女性が店番をするお菓子屋さんでお気に入りを買う。
間もなく90歳になる元気な老人である。

時折知り合いに父が歩いているのを見たと言われる。
毎日、同じ服を着て歩く。
タイミングが合うと、道路を向こうの方に歩いていく後ろ姿が見える。
ゆっくりと、それでも、想像するよりも早く曲がり角に向かい、曲がる。

風呂を用意した時は早く入ってもらいたいのだが、中々そうも行かない。
父が風呂からあがると後始末で大騒ぎなのだが、妻は文句も言わないでやってくれる。


糖尿病の合併症で、失明を宣告されて、寛解にいたり(多分)、母が亡くなって.....本も出版できて、何と幸運だっただろうか。

この2年間は大変な日々だった。
あいかわらす1年後が見えない。
暫くあっていなかった友人に、本を持っていった。
仕事の様子は変わらないか尋ねたら、「あんたみたいな人(毎年やっていることが違う)はいないよ」と言われた。

そうだよなあ。
確かに、俺は何やっているんだろうか。

今年の国体は、愛媛で10月に開催される。
楽しみである。


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