母のお守り
明け方に数本メールを書いてから今日はなにもしていない。
なんか正月みたいだ(笑)。
ちょうど、一年前が初七日だった。
神棚を整理した時に出てきた。
2015/5/18に母から無理やり取り上げた精神安定剤と便秘の薬である。
家の前のアパートの駐車場に捨てた。
母は裸足で飛び出してきて拾い出した。
今でも、あの時の母の顔は忘れられない。
僕はそのまま家に入ったのだが、
なんと拾った後で、母はその薬を僕の所に持ってきたのである。
あの頃は、まさに格闘だった。
連休に東京からカエルが来て、20万金せびって、朝5時に新潟に営業に行くと言って出ていってそのまま東京に帰り、母は何日もカエルがいないと探すのであった。
カエルは新潟の海で釣をするのを営業という。
あの時に、最初の慢性心不全の発作が起こっている。
母は、カエルに殺されたのだ。踏み潰したやりたいが。まだ父が元気な間は我慢しなければなあ。
多分数日後のことである、夜中に腹が痛く苦しいといい出したので県立病院に連れて行った。
多くの場合、病院に行くほどのことはないのだろうが、万一のことも有る。
そこで、一計を講じた。
当時、ビオフェルミンとエビオス錠をもっといい薬だと言って呑んでもらうようにしていた。
しかし、医師が処方した薬の方がいいと言って聞かないのである。
決して、安定剤と便秘薬を止めないのである。
夜間診療のお医者さんに持っていったビオフェルミンとエビオス錠をいい薬だと言ってもらったのである。
その後、徐々に薬のシフトが進み夏ぐらいには一切医師の所に行かなくなった。
すっかり薬の依存が終わったのは10月くらいであった。
10月は毎年国体の開催県にいって1週間ほど出張になる。
2015年は和歌山だった。
出張の数日前に何やら紙切れを持ってきたのである。
お守りだった。
駄目だ涙がでて来る.......
ありがとう、おかあさん。
母は、10月にはすっかりスクリと縁を切れて、あるがままの自分を受け入れていた。
縁側に並んで座って、出張で見てきた和歌山の風景を伝えた。
前に書いたブログでは出張の前のように書いているが、今考えると出張の後だったようなきがする。
最後に母に学んだのは心の安らぎであった。
香りというのは、多くの記憶を呼び起こす。
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もう俺は生きていなくても良い、母をあんなに苦しめたカエルどもとネズミに思い知らせてやる。
父が生きているうち、僕の糖尿病が追いついてくるまでは待っておこうとは思うが、時に感情が高ぶり、どうにもならなくなる。