父と暮らす フレッシュな果物とヨーグルト

母は便秘がひどく、苦しんだ。
通じの良い僕はその気持がわからなかった。

亡くなる一年位前からあの白いやつが大好きと言っていた。
大きな椀に二人分を盛って毎食持っていった。

皆母が食べて少し父が食べた。
一緒に食事をすると、母はみんな俺が食うんだと言ってあははと笑ったものだ。

ここ2年の間に、数回ひどい便意で悩んだ。
母は、毎日、精神安定剤と便秘薬を沢山のんだ。
どう考えても、両方共に問題があった。
便秘薬は、同じものが市販されていたので厄介だった。


ヨーグルトが功を奏したのだろうなあ。
良かった。

缶詰をたくさん使っていたのが、心残りだ。
甘くていいかと思っていたのだが、フレッシュな果物をもっと使ってやればよかったと思う。
今、父の食事に缶詰を使わないのは、その頃の思いだ。



キウイはあまり好きではないようだ。
りんごは大好きだ。
今のイチゴはあまり甘くないので好まない。
バナナはそこそこ好きだ。
オレンジも気に入っている。
グレープフルーツもいい。
種のあるものはバラすのが難しい。




もうなくなってから一年がたとうとしているのに、忘れられない。
母は仕事をしていると、2時位にドアを開けてくるのだった。

右手は入口の椅子に捕まって、左手を軽く上げて「ヨッ」と言うのだった。
「忙しいだろうからすぐ帰る」と言って、マユに餌をやってイスに座る。
お茶を出すし、時々ユーグルトを持ってあげた。
お茶は、友達と一緒に京都から取り寄せていた。
もう、その友達もいない。



10歳年上の父の叔父のところに行ってきた。
車で20分位のところの施設に入っている。
この施設は良い施設で、精神安定剤を飲ませたりしていない。
というか、おじさんが問題行動を起こさないのだろう。
介護施設に働く友人によれば、問題のある利用者には安定剤を飲ませるそうだ。彼は、薬物によるロボトミーだと言っていた。
東京にいた叔父を見舞いに行った時まさにその状態だった。施設から外に歩いて出て転んで肋骨を折った後から処方されたのだろう。
それを見て恐ろしくなって、本を読んで自分は入りたくないと思い、父母を守ろうと決心した。
兄夫婦には母は認知症だから早く施設に入れて治療を始めろと提案された。私も父母が色々なものを失いながら代わっていく姿は恐ろしかった。何とか頑張れた。そいして、母は安らかに逝った。

何が有っても父を守ると誓っている。共に生きて、元気で暮らしてもらう。いつか父は母の所に行く。私も後を追う

おじさんは、お元気だった。


87歳と97歳である。
二人は仲の良い兄弟である。
一緒に小一時間話をした。
楽しかった。
いろいろな話が聞けた。
今生きている兄弟の話や昔の話、健康の話や毎日の生活。




母のことは葬式で忘れることにしたのが、兄と兄嫁と叔父の3人の裏切りのために忘れられなくなった。
何度も悪夢を見ていた。
悪夢を見るのは、精神がおかしいのではない。
現実に対して、解決の道を求めているから、その苦しみの中で、悪夢を見るのだ。


今の仕事が一段落してきた。
これからの人生が見えてきた。



私はもう兄を許さないことにした。
総決心したら、悪夢から開放された。
母の死がまだ辛い。


あの3人には落とし前付けてやる事にした。



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